托鉢ブログ

主演の本木雅弘さんが、
この本に感動して、映画「おくりびと」が生まれたそうです。
長年あたためて、ついに昨年世に送り出されました。


私も十年程前、この本に出会いました。(文春文庫)
ちょうど、葬儀の仕事に就いた頃でした。


映画をきっかけに読み返してみると、
当時とはまた違った感慨がありました。


この「納棺夫日記」という本は、
昭和四十八年、著者の青木新門さんが、
葬儀社に勤めだした時から書き始めた日記から生まれました。


ちなみに、「納棺」という言葉はありますが、
「納棺夫」という言葉は辞書には載っていません。
作品中にそのくだりが書かれています。
―とうとう納棺夫にされてしまった。―


この作品は三章からなり、
一, 二章は仕事での出来事がつづられており、
なかでも、感動的な場面(私のなかで)はいつかの「納棺夫日記」で紹介しました。
今回読み返してみると、「第三章 ひかりといのち」には、
宝石のような言葉がいたるところにちりばめられている。
親鸞聖人から宮沢賢治、量子物理学、ニュートリノなどにまで話は及んでいる。


青木新門さんは「仏は不可思議光如来なり、如来は光なり」を体得された方なのだと思う。


いくつか紹介してみます。


親鸞がこの<ひかり>を不可思議光と名づけた通り、この光に出会うと不思議な現象が起きる。
まず生への執着がなくなり、同時に死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、
すべてを許す心になり、あらゆるものへ感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。
この光に出会うと、おのずからそうなるのである。
そして、真宗の坊守さんの詩が紹介されていた。


何も思い残すことはない
もう充分
啓介も・・・大介も・・・慎介も・・・
マミも・・・あなたも
みんな南無阿弥陀仏
今度は、南無阿弥陀仏の諸仏になって
あなた方を育てましょう
 私は
私は真弥の南無阿弥陀仏になります
私は啓介の南無阿弥陀仏になります
私は大介の南無阿弥陀仏になります
私は慎介の南無阿弥陀仏になります
私は真吾さんの
南無阿弥陀仏になります
 ・・・・・・・・・・
門徒の方有縁の方々の
南無阿弥陀仏になります
思い出したら
南無阿弥陀仏と呼んでください
私はいつもあなた方に南無しています

             鈴木章子著
            『癌告知のあとでー私の如是我聞』
                      探求社刊より


こんな一節があった。
末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。
きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい。

カテゴリ ちょっとためになる話


あなたの心に最高の感動葬儀を。 「まごころ葬儀 福岡 羅漢」


9f4776d79cb754880ecf89b61957837f[1].jpg
自宅葬の白木祭壇


祭壇」は誰もが知っていると思います。
御本尊がある祭壇の一番上の部分を「棺前(かんまえ)」といいます。
「それは知らんよ」と言われそうですが・・・


まだ新人だった頃、
棺の後ろに飾るのに、何故「棺前」っていうんだ?
しばらくは疑問を抱いたまま仕事を続けていた。


やがて、葬祭ディレクターの資格を取るための勉強をはじめた頃、
その疑問が解けた。


かつて葬儀は、自宅での法要と、葬列を組んで葬場あるいは菩提寺に行っての法要という
「二段構え」でした。この二つの法要が合体し、特に葬場あるいは寺院での葬儀の飾りが
現在の祭壇の原型になったと思われます。


葬列があった当時の飾りは、棺の前に小机を置き、白布で覆い、
その上に線香立て、ロウソク立て、花立て、位牌、供物などを置き、
後ろには葬列で用いた幡、天蓋などの野道具を並べるといったものでした。
やがて、小机が大きくなり仏壇や盆棚のように段になり、二段、三段と増えていきました。


棺は白木の輿(こし)に載せた形で安置されましたが、
その輿が飾り物となり、「棺前」と言われるものになりました。
また、輿の中、あるいは棺前の後ろに置かれていた棺は、
移動に便利なようにと次第に祭壇の前部に置かれるように変化していきました。


私が長崎県の葬儀社で仕事をしていた十年程前、
自宅葬での出館時、まだ葬列がある地域も残っており、
四本幡、天蓋などの切り紙も葬儀社側で準備していました。


さらに、寺院葬をするある地域では、
内陣でお経があがり、本堂に棺が置かれ、
さらにその後ろの本堂の入り口付近に小さな祭壇を設け、
参列者は外からお参りするというものでした。
まさに「棺前」の後ろに棺が置かれていたのです。


知ったからといっても、
さほど"ためになる話"ではありませんでした。


カテゴリ ちょっとためになる話


あなたの心に最高の感動葬儀を。 「まごころ葬儀 福岡 羅漢」


1ab633556b9e95362a4a486ab14e2d7c[1].jpg


朝礼の時のことです。
社長が尋ねた。
「日本で一番リピーターが多い企業は何処だと思う?」
「・・・・」
「東京ディズニーランドだよ」
そう言って、東京ディズニーランドの"伝説のサービス"のことを話し始めた。
この頃涙腺がゆるんできている私の目頭は、熱くなった。


それから数日後、ふと立ち寄った書店で手に取ったのがこの本である。
なにげなく開いた頁には、東京ディズニーランドの活字があった。


朝礼で聞いたあの話の事がまさしく書かれていたのである。


「それはある日、ご夫婦が、パーク内のレストランでランチを食べようと来店したときのことです。
メニューを聞きに行った女性キャストにご夫婦は、自分たちのメニューのほかに、
"お子様ランチ"を注文されました。しかし、キャストが見たところ、肝心のお子様が見あたりません。
キャストは、「お子様ランチは六歳以下のメニュー」というルールがあるので、そのことを話しました。


それを聞いたご婦人があわてながら、こう答えたそうです。
「ああ、ごめんなさいね。お子様ランチはいいわ。気にしないで・・・」
でも、キャストは心にひっかかるものを感じて、また、お客様のところへ・・・
「あの・・・先ほどは申し訳ありませんでした。あとからお子様がいらっしゃるのですか?」


すると、そのご婦人がこう言ったのです。
「ああ、さっきのことね。いいの、いいの、気にしないでね」
「はあ・・・」
「いえね、じつはね、私、この前、流産しちゃって。だから、今日は、子どもといっしょに
親子三人で来ているっていうつもりで・・・つい無理なこと言って困らせちゃったわね。
いいのよ、気にしないでね」
「そうでしたか・・・気づかなくて申し訳ありませんでした」
そう言って、彼女はマネージャーのところに走っていったそうです。


「マネージャー、どうにかなりませんか?」
女性キャストからこの話を聞いたマネージャーは、すぐにこう言ったのです。
「よし、わかった。お子様ランチをお出ししよう。もし何か問題があった場合は、オレが責任をとる」

そして・・・
「これ、持っていって。注文を受けた君が持っていくのが一番喜ぶから」
女性キャストは、喜び勇んでお子様ランチをご夫婦のところに持っていきました。
さらに、空いていたイスを子供用のイスに替えてあげて、
「三人で、ごゆっくりお楽しみください」


ご夫婦が喜んだのはいうまでもありません。
目にいっぱいの涙を浮かべて・・・。


私たちも、喪家さまが欲していることを、そのご様子からくみ取れるように気を配っていますが、
サービス業の"奥の深さ"を改めて考えさせられました


カテゴリ ちょっとためになる話


お葬式のこと、家族葬のこと 何でもご相談ください ・・・・ 「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

1b5bb0813e5aca91ee47aef208215f9e[1].jpg


普通私達は「法事」といいますが、厳密にはご住職にお経をあげて頂くことを「法要」といい、
法要と、その後の会食などを含めた行事全般を法事といいます。
元来、法要とは亡くなった人を供養するという意味の仏教用語で、追善供養ともいいます。
仏教では自分のつんだ功徳を他の人に振り向けることを、回向(えこう)といいますが、
追善供養とはこの回向の意味合いが深いようです。
つまり、残された遺族が、故人が成仏できるように、期日ごとに供養するわけです。
では何故、初七日、四十九日、一周忌などと
その期日に法要をするのでしょうか。


以下、『葬儀概論』から紹介してみます。
死者は七日ごと、百ヵ日、一周忌、三回忌に十王の審判を受けるが、遺族の追善供養の力により
地獄に落ちることを免れるという十王信仰が日本で広まったのは十一世紀以降のことといわれます。
これは十世紀頃中国で作られた『十王経』の影響をうけたもので、そこから閻魔王(えんまおう・・嘘をつくと舌を抜かれるといわれるあの閻魔様のことです)
が死語の世界の支配者、審判官であるとの信仰と道教が混じり合った十王信仰が生まれたと言われます。
初七日―秦広王(しんこうおう)本地・不動明王(ふどうみょうおう)
―本地とはおおもとの仏、守護仏―の審判を受け行方の定まらない者は三途の川(さんづのかわ)
をわたり、
二七日―初江王(しょこうおう)本地・釈迦如来(しゃかにょらい)の審判を受け、ここでも行方の定まらないと、順に
三七日―宋帝王(そうていおう)本地・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
四七日―五官王(ごかんおう)本地・普賢菩薩(ふげんぼさつ)
五七日―閻魔王(えんまおう)本地・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
六七日―変成王(へんじょうおう)本地・弥勒菩薩(みろくぼさつ)
七七日―泰山王(たいざんおう)本地・薬師如来(やくしにょらい)
の審判を受けます。この王の下で、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道のいずれかが決定されるので、四十九日の追善供養は 特に懇ろに行う必要があるとされます。ここでも行方が定まらないと
百ヵ日―平等王(びょうどうおう)本地・観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)ここでも定まらないと、
一周忌―都市王(としおう)本地・勢至菩薩(せいしぼさつ)の下に行くとされますが、これはひとえに遺族の追善供養のおかげで、一周忌の功徳により、
三回忌―五道転輪王(ごどうてんりんおう)本地・阿弥陀如来(あみだにょらい)に送られます。
そして充分に追善供養すれば成仏できるとしています。
これに加え十二世紀から十四世紀にかけて七回忌,十三回忌、三十三回忌が一般化するようになり
ました。
七回忌―阿しゅく如来
十三回忌―大日如来(だいにちにょらい)
三十三回忌―虚空蔵(こくうぞう)菩薩(ぼさつ)
以上が十三仏事と十三仏との関係です。
ちなみに、祥月命日、月命日が一般化したのは十五世紀といわれます。

カテゴリ ちょっとためになる話

法事は法要ともいい、亡くなられた方の冥福を祈り、その霊を慰めるために命日に行う行事ですが、
そのいわれについては、私たちはあまり考えませんが、
このブログのなかで紹介させていただければと思います。


歴史的には、中陰の七仏事つまり、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、(三十五日)六七日、
七七日(四十九日、満中陰)はインドに起源をもちます。
中国に仏教が伝わり、百ヵ日、一周忌、三回忌の三仏事が加わり、十仏事となりました。
さらに日本で七回忌、十三回忌、三十三回忌が加わり十三仏事となり、
近世に十七回忌、二十五回忌が加わり十五仏事となりました。
しかし、十五仏事はあまり、一般化しているとはいえず、二十三回忌、二十七回忌などに
年回期法要を営むこともあります。
七回忌のあとが十三回忌なのは七回忌の七年目であるため、それに続く十七回忌は七の数字がつくから
といわれます。
五十回忌、さらに百回忌と五十年ごとに行われることもありますが、これを遠忌(おんき)といいます。
このほか、祥月命日(しょうつきめいにち)―故人の亡くなった月日―、月命日(つきめいにち)
つまり、祥月命日は一年に一回、月命日は十二回あることになります。
またお盆(とくに、亡くなって最初に迎えるお盆を初盆といい、この糸島地域では初盆祭壇を飾り、
故人様を供養し、またお参りの方も多いようです)
や春秋のお彼岸があります。
遺されたものが、生あるかぎり、亡くなった人のことを覚え、その生を大切にして、感謝して生きる、
亡くなった人との関係を維持しようとするのが日本人の特性のひとつといえるかもしれません。
(出典―葬儀概論)

満中陰についてはこちらをご覧下さい。

カテゴリ ちょっとためになる話

今年もすでに11月となりました。
この時期になりますと、喪家様にとりましては、
またやるべき事がでてまいります。


"喪中につき、新年のご挨拶を、ご遠慮させていただきます"
からはじまる「喪中ハガキ」の準備です。
私たちもよく、喪家様からの相談を受けます。
これも大切な喪家様へのアフターフォローです。


一例として、
「本年○月○日(続柄)(故人名)が○○歳にて永眠いたしました。
永年にわたるご厚情を深謝致しますと共に、
明年も変わらぬご厚誼のほどお願い申し申し上げます。」
といった文面がつづきます。


そして、○年十一月、(11月中に出すのが一般的です)
郵便番号、住所、氏名、電話番号となります。


私共、まごころ葬儀、羅漢でも承っておりますが、
コンビニでも、ネットでも"注文うけたまわります"
といっているようです。


あの~、質問があるんですけど・・・
連名で出してもいいんですか?(いいですとも)
その場合、続柄はどうなるんですか??
という相談があったりします。
そうですね、通常は一番目のお名前の方から見た続柄になりますが、
続柄を印刷せずに、故人名をフルネームにすることが多いようです。(なるほどね)


どの範囲まで出すんですか?
一般的には二親等までといわれているようです。(二親等?)
あなたから見た場合、兄弟とか祖父母とか、です。


本日、托鉢中に「喪中ハガキ」の注文あり。


カテゴリ ちょっとためになる話

堀内孝雄(アリスの頃、ベーヤンと呼ばれていた)の歌に、
「ガキの頃のように」というのがある。
私にマイクを持たせると、まずはこの歌からはじまった。
(アリス時代からずっとファンであります)
男というものは、少年時代を語るとき、
なぜか「おれがガキのころは・・・」という言い方をする。
"ガキ"という言葉のもつ魅力というか、響きというか、郷愁というか、
そんなものがある。


ところで、日常なにげなく使っている言葉には、
仏教からきているものがかなりある。
例えば、ホトトギスは「ぶっぽうそう」と鳴きます。
仏、法、僧、を三宝といい、聖徳太子も一七箇条で、
"篤く三宝を敬え"といっています。
また、うぐいすは「ホーホケキョウ」と鳴きます。
ホケキョウは"法華経"つまり「妙法蓮華経」のことです。
神仏に手を合わせていた昔の人は、鳥の鳴き声にも仏を見ていたのでしょう。


また、"ダンナ"という言い方。
うちのダンナなんか・・と言えばずいぶん地におちた感じをうけますが、
実は、サンスクリット語の"ダーナ"の音写で「檀那」と書き、布施つまり、ほどこしという意味です。
やがて、"布施をする人"をさすようになり、
転じて、金銭や物品をほどこしてくれる人を、誰でも"ダンナ"と呼ぶようになったわけです。
「いよっ!ダンナ」なんて呼ばれて"有頂天"になったりするととんでもないことになりかねません。
"有頂天"もまた仏教用語で、「天上界における最高の場所」のことをいいます。


さて、"ガキ"のことでした。
ガキは「餓鬼」と書き、飢えている状態で、六道のひとつです。―お施餓鬼(おせがき)という供養がありますよねー
仏教の教えでは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、の六道を輪廻(輪廻転生)すると言われています。
天に生まれても、"有頂天"になって油断していると、また落ちてくるのかもしれません。
この六道のうち、「人間界」に生まれたことは一番の幸せだといいます。
「人身受けがたしすでに受く・・・この身今生において度せずんばさらにいつの世に向かって度す」
うるおぼえですが、確か親鸞聖人の言葉だったと思います。
いま、人間に生まれて仏法に会えて、いま彼の岸に到らないで、いつ行くというのか。という意味だと思います。
天上界と違って、人間界は不自由だが、だからこそ修行するには最適の場所ということのようです。

カテゴリ ちょっとためになる話

花を投げ 伏しおがむ(とつづく) 
俺にも明日は 知れないが
守っておくれよ おまえの力で
オイルのしみた 形見のギター
おふくろさんに 届けるまでは
いい奴でした 男でしたと
おふくろさんに 伝えるまでは


私の好きな、鳥羽一郎「海の祈り」の二番の歌詞である。


いきなり鳥羽一郎が登場したが、
今日、田中(福岡県二丈町)を托鉢したおり、
元、遠洋航海の船乗りさんと出会った。
「俺の骨は海になげてくれといってるんだよ」
「そのまま投げたらいかんですよ」
「形状を残さんごとして」
「粉末にすればよかとやろ」
「水葬してもいいし」
「今の船は冷凍設備の整っているけん、もう水葬はしよらんごたるね」
「そうですか」
「船長の権限で水葬したことあるよ」(この方が船長なのかも知れない)
「やっぱり、儀式のようなものがあるんですか」
「遺体が浮かんでこんごと、こう包むんだよ」
「そして、周りを三回まわるんだよ」
「映画なんかでよく、水葬のシーンやってるやろ」


水葬については、「船員法」で定められている。
「船長は、船舶の航行中船内にある者が死亡したときは、命令の定めるところにより、
これを水葬に付すことができる」(第15条)として、これを受けて、
「船員法施行規則」では水葬に付す条件として、
船舶が公海上にあること、
衛生上船内に死体を保存できないこと、
などをあげています。


尚、散骨については、
2008-1-22の投稿、「オレが死んだら海に投げてくれ」に書いています。


カテゴリ ちょっとためになる話

たぶん、誰もが見たことがあるはずである。
→「○○家」。
私たちは、これを方向看板と呼んでいます。
これも、地域により、葬儀社により様式(デザイン)がちがいます。
福岡市内に行くと、かなりシンプルです。
サイズも小さめです。
それこそ、→「○○家」だけです。(地域性が看板にあらわれます)


さて、我が糸島(前原、志摩町、二丈町)はと言うと、
かなり詳細に表示されます。
故人様の名前、喪家様名、地区名、通夜日時、葬儀日時、(しかも開式時、出館時)
通夜と葬儀の式場名、そして葬儀社名(私共がしております。というわけです)
それもどの方向から来ても、かならず、葬儀式場にたどり着くように何枚も何枚も。
つまり、参列者が多いのです。


まず、"方向看板を立てる"ことが優先されます。
ほとんどの町内で、訃報案内がスピーカーから流れます。
親しい人に訃報の電話をするとともに、町内会長へも知らせます。
私たちが故人様をご自宅にお連れするころには、
すでに、町内の方が居られることもあります。
葬儀も様変わりしてきてはいるものの、(たとえば、家族葬のように)
昔ながらの地域性もまた、色濃く残っているようです。


さて、タイトルからだんだん、はずれていっているようです。
"電柱でござる"でござろう。
くだんの「方向看板」、いつも電柱にへばりついているが、
すこしは、感謝しとるんかい!
"でんちゅうでござるー"
(暗黙の了解という、ありがたい不文律のおかげです)


カテゴリ ちょっとためになる話


托鉢中のカーラジオでいい話を聴いた。
NHKの視聴者参加番組で、電話での話。
『私のほっとする場所』というテーマをとりあげていた。


「うちの子は、お寺にある仁王門なんですよ」
「へえー小学三年生でですか?」
「あうんの像があるんですよね」
「そうなんです。仁王様と、なんか話しているみたいなんですよ」
「仁王様の前でじっと座っているんですよ」
「お祭りのときなんかも、あれ買ってとかねだったりするんですけど、
あっその前に仁王様にお参りしてこようって言って。
今日は祭りだから、仁王様もいつもよりうれしそうにしているよ、なんて言うんです。」


ラジオからきこえてくる母親の話を、ほほえましく聴きながら、
私も小学生の頃の記憶がよみがえっていた。


私たち(団塊の世代)の子供時代はだれもが貧しかった。
ちょうど、テレビが出だした頃で、まだテレビのある家はまれだった。
そして、テレビのある家は災難だった。
近所中の子供らが、夕ごはんどきにその家に押しかけるのだ。
(でも、まあそれを許してくれる時代でもありました)
『月光仮面』どきなんかは大変でした・・・


その頃、私が住んでいたすぐ近くに"おだいしさん"と呼ばれるお寺さんがあった。
(その頃の私はそのお寺さんの名字が、「オダイシ」というのだとずっと思っていた)
私たちガキどもは、時々テレビを見ようとお寺に押しかけた。
住職さんは私たちに言った。
「テレビを見るなら、ふつ(よもぎのこと)を持ってきなさい」
・・・そして住職さんはそのふつを乾燥させ、私たちが蚊に刺されないように、
それを燃やし、蚊取線香がわりにしたのだった。
今に思えば住職さんは、私たちに生活の知恵と、礼節を教えてくださったのだった。
このお寺は今はもう無い。
真言宗のお寺で、オダイシさんは、言うまでもなく「お大師様―弘法大師様」のことである。


カテゴリ ちょっとためになる話

福岡 まごころ葬儀羅漢

NHKの午後のラジオだった。
雨の中、前原市を托鉢中、車の中で聴いた。
結構ためになったので、ちょっと紹介してみます。

「香典の表書きは薄墨で書いたほうがいいのですか?」
という視聴者からの質問に対しての答え。
「昔は硯(すずり)で墨をすってからかいていたわけですね。
だから、悲しみで力が入らなくて墨が薄くなるんです。
あるいは、涙が墨の中に落ちて薄くなるわけです。
そんな意味合いがあって、薄墨で書くというわけですが、
今の時代、すでに印刷された香典袋があったりするわけで、
特にこだわらなくてもいいのです」・・・というようなことでした。

私が以前、先輩に教えていただいたそのいわれが、もう一つあります。
訃報を聞き、墨をする時間も惜しんで駆けつけるため、
薄墨になるというわけです。

香典に関する豆知識、いたるところで紹介されていますが、
今日聴いたふたつのことは、はじめて知りました。


カテゴリ ちょっとためになる話

福岡 初盆のことならまごころ葬儀羅漢

葬儀の様式にはそれを行う人たちの死生観、宗教観が深く関っており、宗教の違いがそのまま葬式の様式の違いになる。また葬儀は故人のためだけでなく、残されたもののために行われるという意味合いも強くある。残された人々が人の死をいかに心の中で受け止め、位置付け、そして処理するか、これを行うための援助となる儀式が葬儀である。その意味で葬儀は、宗教が文明に発生する以前の旧石器時代から行われてきていた宗教的行為であるといえる。ただし、日本の葬儀で連想される仏教との結びつきは、日本(アイヌや琉球を除く)独特のものであり、その他の仏教国では、僧侶は葬礼に直接関与しない。中世前期に律僧や時衆が庶民の仏教典礼として促進したことにはじまり、定着をみたのは、寺請制度のできた江戸時代からと言われている。
WIKIより

3f724e5bf2559a45ae6d374b5f08664a[1].jpg


「北向きに寝かせるんでしょう」
少し物知りの人はいいます。
「北はどちらになりますか」
私たちもご自宅にお連れしたときに尋ねます。
「北向きに寝るもんじゃない」
子供の時、よく聞かされた。


"北枕"
枕を北にして寝ることを言うが、
特に死者を寝かせるときをさす。
北枕を不吉として、忌み嫌う風習は昔からあった。
本当は不吉でもなんでもない。
むしろ頭を北に向けて寝ると、
いい気が入ってくるからいいのだという。


では何故、死者を北向きに寝かせるのか。
新人の頃、葬儀にまつわる数々の風習やきまりごとを教わった。
北枕についてはこうです。


お釈迦様の"涅槃像"はよく知られていますが、
実はそれに由来しています。
「頭北面西右脇臥」
"ずほくめんさいうきょうが"といって
頭を北に、顔を西に向け、右脇を下にした姿勢ですが、
お釈迦様が亡くなられたとき(入滅、または涅槃に入るといいます)
の姿からきているのです。


故人様を安置するとき、
北だけでは不都合なことがあります。
「北もしくは西でよいのです」・・ずほくめんさいです。
北もしくは西で大抵はでおさまります。(寝てみると納得です)
北北西になるよってですか?(そんな磁石までいりませんよ)
でも時折、北もしくは西にしても仏壇に足を向けることになることがあります。
そんな時は方角に関係なく仏壇に足を向けないように寝かせます。


今日も、朝一から祭壇にかかり、通夜を終えて9時帰宅。
パソコンに向かい今から投稿です。


カテゴリ ちょっとためになる話


福岡 まごころ葬儀羅漢

托鉢していると、いろんな事を尋ねられる。
駆け出しの頃(托鉢の)は、知らないことを聞かれはしまいかと
身構えたものだった。
特に、福岡の地名など無知に等しかった。
今は、逆に教えてくださいという位の気持ちでいる。


ある時、お客様と戒名の話になった。
「戒名を先にいただくことはできるんですか」
多くの人は、戒名は亡くなってから授かるものと思っている
「お坊さんは皆、戒名があると思いますよ」
「普通の人は?」
「普通の人もいると思いますよ」
「戒名をいただくというのは、戒律を守って生きていこうという事だと思います」
「だから、戒律を授かり、仏様の教えに従って生きていこうとする人は、
戒名をいただけると思いますが」
思うところを答えた。


後で調べてみると、次のようにある。
「戒名」とは、仏教教団に入り戒律を守ることを誓った者に与えられる名前のことです。
本来は出家した僧にのみ与えられるものでしたが、出家しない在家の檀信徒(だんしんと)
も授戒会(じゅかいえ)に加わって戒を受けることにより、仏法に帰依(きえ)した者として
戒名を与えられるようになりました。(中略)江戸時代以降、寺檀制度が確立する中で、
亡くなった人に「授戒」して戒名を与えることが一般的となりました。
(葬儀概論よりー私たちのよすがとする本ですー)
たしかに葬儀の時、たとえば曹洞宗では、「授戒」があり、そののちに「引導」ある。


「戒名」という呼び方が一般的であるけれど、宗派により違いがある。
真宗では「法名」といい、日蓮宗では「法号」という。


この方にならい、
死ぬときを待つまでもなく、
「戒名」という生き方をしていこう。


 カテゴリ ちょっとためになる話


福岡 まごころ葬儀羅漢

876c2800f7e927c11acc17b4accb07da[1].jpg


一週間程前のことです。
「行ってきまーす」
托鉢に出ようとすると、
「ちょっと一息いれませんか」
Tさんがやきいもをさしだしてくれた。
「わっ、うまそう」
「これ、どうしたんですか?」
ほおばりながら尋ねた。
「レンジですよ」


そして、今朝。
「アルミホイルでくるんでいれるんですか?」
「アルミホイルはだめよ」
「ラップでくるんでね」
「レンジでどのくらい・・・」
「この大きさ(直径5㎝くらいかな)なら6分くらい」
「このアルミホイルは?」
「レンジだけでも充分おいしいんだけど、オーブンで焼くと一味違うんですよ」
(なるほど、そういう訳だったのか)
「オーブンでどのくらい・・・」
「10分くらいね」
「なんでアルミホイルでくるむんですか」
「水分が逃げないようにね」


我が社の名料理人、Tさんのクッキング教室でした。
ほかほかの情報です。


カテゴリ ちょっとためになる話


福岡 まごころ葬儀羅漢

0c8c171d9605c2cc005b7013cbd08c05[1].jpg

お葬儀のアフターフォローとして、
仏壇を納めさせていただくことがあります。
初めて家族を亡くされる喪家様は、
これから故人様に手を合わせる生活が始まります。


仏壇は家庭の中のお寺といわれます。
はじめて購入される方にとっては、わからないことばかりでしょう。
価格的にも高額なものであり、品選びに慎重をきします。


私たちは葬儀後も喪家様に対し、
まごころをもって、アドバイスが出来るように努めています。


私たちが仏壇をお奨めするときは、
購入される方のご予算をお聞きして、
仏壇という商品を充分理解していただき
(実際商品を見て頂き、その材質、その工法等をご説明します)
納得のいく仏壇を購入していただいています。


前置きがながくなりました。


喪家様へ取引先の仏壇店の社長さんと一緒に、
仏壇を納めに行った時のことです。
仏壇の設置が終わり仏壇店の社長さんが、
喪家様へ仏壇のお参りのしかた、
手入れの仕方などを説明され、
(私も勉強になりました。)


その後でした。
仏壇店のお二人は(二人で納めにこられました)
中陰壇に向き直られ、お経をあげられたのでした。
思わず、そのうしろで私も手を合わせました。
(49日が済むまでは、この中陰壇でお参りします)
その後ろ姿にまたひとつ、教えていただきました。


ー通常、仏壇は納入が済むと、お寺様にお経を上げて頂きます。
(入魂の儀式)買い換える場合も、古い仏壇を供養します。
この喪家様も、後日お寺様が見えられることになっていましたー


カテゴリ ちょっとためになる話

6fba69059fb701bce3ab172205360299[1].jpg

ここに一冊の本がある。
葬儀の仕事をするようになって程ない頃、
佐世保の本屋さんで見つけた。(文庫本)
写真の本は、2006年に「定本」として再販されたものである。
たぶん、この仕事をしていなかったら目に止まらなかったはずである。


著者の青木新門さんが、湯潅・納棺の仕事をされていた、
昭和40年代の頃のことが書かれてある。
当時はまだ、この仕事の社会的地位は低く、
むしろ、蔑まれていた時代である。


最近、取引先の担当の方から聞いたのだが、
この春、本木雅弘主演で映画化されるらしい。
「おくりびと」という題名で、
広末涼子、山崎努らが共演する。
観てみたい。


「納棺」、ご存じだろうか。
亡くなられた方を、柩に納める儀式のことである。
私も、ずいぶん多くの方の「納棺」をさせて頂いた。
この本でも書かれているが、
緊張感で、慣れない頃は汗びっしょりになった。
私はこの「納棺」という儀式に重きを置いている。
故人様とご遺族の皆様が実際にふれあえる唯一の時だからである。


普遍的な言い方をすれば(宗旨、宗派により違いがある)
亡くなられた人は、49日かけて浄土へ旅立つ。
その際、白装束を身にまとい、三途の川の渡し賃として六文銭を懐にして・・・
私たちは"旅支度"として、ご遺族の皆様へ案内し、
ご遺族の皆様の手で、旅支度をしていただく。


少しこの本を紹介してみます

    *
久しぶりに、湯潅・納棺の仕事が入った。今日の家は、行き先の略図を手渡された時は気づかなかったのだが、その家に通じる道に入ったところでハッと思った。その家から見えないはなれたところで車を止めた。
 東京から富山に戻り最初に付き合っていた恋人の家であった。
 十年経っていた。瞳の潤んだ娘だった。コンサートや美術展など一緒によく行った。
 父がうるさいからと午後十時には、この家まで度々送ってきたものだった。別れ際にキスしようとすると、父に会ってくれたら、と言って拒絶したこともあった。高校時代から恋人ができたら必ず紹介すると父と約束したのだと言った。彼女はその父との約束を頑なに守ろうとしていた。だからそれからも、
父に合ってくれと何回か誘われたが、結局合うことなく終わってしまった。
 しかし、醜い別れ方ではなかった。横浜に嫁いだと風の便りに聞いていた。
玄関の前を行ったり来たりしながらこのまま逃げ帰ろうかと思ったが、まだ横浜から来ていないかもしれないと思い、意を決して入っていった。
 本人は見あたらなかった。ほっとして湯潅を始めた。もう相当の数をこなし、誰がみてもプロと思うほど手際よくなっていた。しかし汗だけは、最初の時と同様に、死体に向かって作業を始めた途端にでてくる。
 額の汗が落ちそうになったので、袖で額を拭こうとした時だった。いつの間に横に座っていたのか、額を拭いてくれるひとがいた。
 澄んだ大きな目一杯に涙を溜めた彼女であった。作業が終わるまで横に座って、父親の顔をなでたり、私の顔の汗を拭いたりしていた。
 退去するとき、彼女の弟らしい喪主が両手をついて丁寧に礼を言った。その後ろに立ったままの彼女の目が、何かいっぱい語りかけているように思えてならなかった。車に乗ってからも、涙を溜めた驚きの目が脳裏から離れなかった。
 あれだけ父に会ってくれと懇願した彼女である。きっとお父さんを愛していたのだろうし、愛されていたのであろう。その父の死の悲しみの中で、その遺体を湯潅する私を見た驚きは,察するに余りある。
 しかし、その驚きや涙の奥に、何かがあった。私の横に寄りそうように座って、汗を拭き続けた行為も、普通の次元の行為ではない。彼女の夫も親族もみんな見ている中での行為である。
 軽蔑や哀れみや同情など微塵もない、男と女の関係をも超えた、何かを感じた。私の全存在がありのまま丸ごと認められたように思えた。そう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。


カテゴリ」 ちょっとためになる話

子供たちにはそう言ってるんだよ。
そんなことを言う人に時々出会う。
本気で言ってるとも思えないが、
この時代を反映している言葉ではある。


マスコミで葬儀を取り上げるようになってから久しい。
特に、葬儀費用が不透明だ。
葬儀に費用がかかりすぎる。
そして、その対策法だ。
一方、葬儀に新しい風を吹きこんでいる会社もレポートしている。
お客様側にたって、まじめに取り組んでいる会社も多くある。


"オレが死んだら・・・"というのは、
つまり、「葬儀費用が高いよ」というお客様の声なのである。


さてせっかくだから、
"海に投げてくれ"という人のために、
その方法を紹介してみます。


いわゆる「散骨」したいという事だと思いますが、
「散骨」について明確に定めている法律はありません。
『墓地、埋葬等に関する法律』(墓埋法)第4条1項にはこうあります。
「埋葬又は焼骨の埋蔵は墓地以外の区域にこれを行ってはならない」
これは、焼骨を埋蔵する場合は墓地に限るといっているのであって、
自宅に遺骨を保管したり、散骨することを規制するのではない。
といった見解があります。
散骨について社会的にも関心が高まる中、法務省は、
『節度をもって葬送のひとつとして行われる限りは問題はない』
という見解を表明しています。


節度をもってというのは、
遺骨をそのままの形状で残さずに(粉末状にして)、
散骨場所としてふさわしい場所で行われたかどうか、
ということです。


海洋葬、樹木葬などといった言葉も多く聞くようになり、
それを専門にしている葬儀社もあるようです。


"・・・海に投げてくれ"から水葬を連想しますが、
水葬が行われることはまれでしょうが、
これについては、『船員法』第15条で定められています。
「葬儀に関する法律」で検索してにるといいと思います。


カテゴリ ちょっとためになる話

いけない訳ではありません。
友引、お客様がよく気にかけることです。
六日に一回やってくる日。
時々、フェイントをかけて、
五日に一回だったり、一回すっぽかしたり。
日本社会に、多大なる影響を及ぼしている「友引」
(おおきくでたね!)


"友を引く"ということで、
この日は葬儀を営むことを忌み嫌う俗信(迷信)があります。
火葬場が休みという地域もかなりあると思います。
「友引」とは陰陽道でいう"六曜"のひとつで、
日の吉凶をうらなうものとして使われたと言います。
元来、『共に引く』ということらしく、
何ごとも引き分けで勝負がつかないと言う意味だそうです。
いわゆる、語呂合わせというわけです。


とは言っても、
これがひとつの慣習として定着していることを、
考慮することも必要です。
大切なことは、葬儀をされる方に
憂慮が残らないようにすることです。


ところでこの「六曜」は、
仏教とは何ら関係のないことだそうです。
でも、六曜には「仏滅」というのもあるじゃないですか!
と疑問に思う方もおられるでしょう。(ワタシダヨ!)
「仏滅」という字から仏様(お釈迦様)が入滅(亡くなる)
した日と解釈したくなるところですが、
本来は、「空亡」「虚亡」といっていたそうです。
これをすべてが虚しいと解釈して、
「物滅」と呼ぶようになり、
「仏滅」の字があてられたとの事です。
この日は六曜の中でも、最も凶の日とされています。


先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順で
六曜は繰り返されます。
(時々、フェイントをかけられますが・・・)


『六曜について』で検索してみてください。
そのへんの詳しいことまで、
丁寧に解説しているページがありました。
パソコン初めてホントよかった。
私の"うるおぼえ"を確信にかえてくれました。

カテゴリ ちょっとためになる話

f9113a7cf2aefbbfbbf40acaaa0632b1[1].jpg


ここにその答えがある。
葬儀、仏事関係の書籍を出版している、
「鎌倉新書」の小冊子から紹介してみます。


このことは、葬儀に携わることを職業にしている私たちに限らず、
すべての人が知っておくべき事かもしれない。
この小冊子では、お葬式の意味を四つに分けている。
<宗教的な意味ー祈り>
<社会的な意味ー別れ>
<精神的な意味ー哀しみを癒す>
<物理的な意味ー遺体を処理する>


祈り・・・洋の東西を問わず人類は、人が亡くなったら、身体から魂や霊が
離れると考えてきました。
そして遺された人たちは、その魂や霊が迷わないように祈ったのです。
それが、お葬式の始まりです。(中略)お葬式で最も大切なのは、
この"祈り"なのです。
祈りによって故人は癒され、遺された者たちも癒されていくのです。
とあります。


2番目にはこうあります。
お葬式は、故人と遺された人との別れの儀式とも言えるでしょう。
・・・人は社会的な存在であり、人との関わりの中で生きてきたからこそ、
お葬式は行われます。・・・つまり、お葬式は、故人と関わりのあった、
すべての人にとっての儀式でもあるのです。
 特にここでは、「誰のためのお葬式?」という項で問題提起をしています。
最近は、とかく家族とのお別れだけが大切にされる傾向があります。
(家族葬を否定しているわけではなく、中立的な観点からの提起のようです)
・・・その一方で故人と関わりのあった方々にとっては、淋しいお葬式に
なってしまいます。
また、参列者を呼ばない場合、亡くなったことをあとから知った友人知人が、
手を合わせるため、毎週末のように自宅に訪れることになり、
かえって面倒なことになってしまうことも、しばしばです。(中略)
メリット・デメリットを理解した上で、選択することが大切でしょう。

 
 ー私たちもこのことについては、喪家様に対し慎重にアドバイスをさせて
いただいています。喪家様のご意向を尊重しつつ、考慮すべき事がらなど
を提示しています。(家族葬については、あらためて取り上げたいと思います)


精神的な意味・・・『故人の死と向き合う』時間は、とても哀しい時間ですが、
同時に哀しみを癒す時間でもあります。
『故人の死と向き合う』ことによって、少しずつですが、人は大切な家族が
亡くなったことを受け入れていき、その家族のいない生活を送る準備を
しているのです。(中略)
お葬式という儀式は、単に宗教的なだけでなく、合理性もあわせもっているという
ことも忘れてはなりません。
 ーとあります。


物理的な意味・・・ここでは火葬についてのべています。


私なりにまとめて、紹介させていただきましたが、
言葉不足をお許しください。
写真は今日、二丈町(福岡県)で携帯におさめたものです。


カテゴリ ちょっとためになる話

古代インドでは人間は輪廻転生すると考えられていました。誕生の瞬間が生有、生きてる間が本有、
死の瞬間が死有、死んで次の生を得る間の期間を中有あるいは中陰と呼び、中有は49日間であるとされました。この間、7日ごとに法要を行い,(初七日、二七日、三七日、・・・)七七日を満中陰といい、
特に、この四十九日の追善供養は懇ろに行う必要があるといわれます。
「忌中」とは、この四十九日の間をいい、これを過ぎると「忌明」となり、日常生活に復帰しました。
(ちなみに、「喪中」とは亡くなってから一年間をいいます)


忌明法要は三十五日で行われることもあり、忌明をもって、本来は『精進落とし』(精進揚げともいう)
となります。(このときの法要料理には、刺身など生ものが出されます。)
また、中陰壇を片付け、それまで使用していた白木の位牌は菩提寺に返され、代わりに黒塗りの位牌を仏壇に納めます。(浄土真宗の場合は過去帳になります)遺骨はこの日をさかいに墓地や納骨堂に納められ、これを納骨といいます。


"へっぱく"がながいぞ。(能書きが長いという意味です)
用事を済ませ喪家様からの帰り道、携帯が鳴った。
『○○様から壇を片付けてとのこと』
すぐに社に戻り、トラックで○○様へ。
今日、納骨を済ませましたと、
顔見知りの皆様がお揃いでおられた。


中陰壇を片付けた後、
満中陰のギフトの注文をいただいた。
「初盆の返礼品もお願いします」と
ありがたい言葉もいただいた。


暗くなり始めた帰り道を
軽やかにトラックを走らせた。


カテゴリ ちょっとためになる話

このページのトップへ