師はおりに触れ、よく言う。
「私はしていないことは何もない」(悪いことを、という意味で)
ありとあらゆる"悪いことを"をしてきたろうや、と言う。
仏教では、まず懺悔(ざんげ)せよという。
「なんも悪いことしとらん。なにを懺悔せよというのか」
と、何も知らない(これを無知という)頃は思ったりしていた。
「自分は生真面目な人間、俺はよか人間だと、ようそげなことが言えるばい」
「自分はどんな人間と思うね」
師の問いに答えると、
バッサリと斬り捨てられる。
「なんで手を合わせるか、わかるか。」
「知らず知らずのうちに犯しているであろう罪を懺悔するためたい」
師はそう言う。
無始以来無量罪、今世所犯極重罪、日々夜々所作罪、念々歩々所起罪である。
今思えば、なんと厚顔無恥な自分であったろうか。
人はよく、自分はこんな人間です。などと言う。
師は言う。
「どんな人間かは人(他人)が決めるもんたい」
師の深い愛は無知な奴(私でした)にはわからない。
執われが恨みや怒りの正体である。
師の罠にはまって、うっかり言葉をはくと、
"ぼて投げられる"
むっと怒りが顔を出す。
実は師の深い教え(愛)がそこにあるのだった。
執われとは、そんなにやっかいなものなのだ。
「嫌われてまでも教えるほうの身も解ってくれよ」
と師は言っているのである。
そして、私の中に巣くっていた怒りという執われが
いつの間にかとれているのである。
そして、師はついに教えてくださった。
「本当のよか人間とは、人のために命を投げ出せることが出来る人間たい」
カテゴリ 師の教え
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