托鉢ブログ

師はおりに触れ、よく言う。
「私はしていないことは何もない」(悪いことを、という意味で)
ありとあらゆる"悪いことを"をしてきたろうや、と言う。


仏教では、まず懺悔(ざんげ)せよという。
「なんも悪いことしとらん。なにを懺悔せよというのか」
と、何も知らない(これを無知という)頃は思ったりしていた。


「自分は生真面目な人間、俺はよか人間だと、ようそげなことが言えるばい」
「自分はどんな人間と思うね」
師の問いに答えると、
バッサリと斬り捨てられる。


「なんで手を合わせるか、わかるか。」
「知らず知らずのうちに犯しているであろう罪を懺悔するためたい」
師はそう言う。


無始以来無量罪、今世所犯極重罪、日々夜々所作罪、念々歩々所起罪である。
今思えば、なんと厚顔無恥な自分であったろうか。


人はよく、自分はこんな人間です。などと言う。
師は言う。
「どんな人間かは人(他人)が決めるもんたい」


師の深い愛は無知な奴(私でした)にはわからない。
執われが恨みや怒りの正体である。
師の罠にはまって、うっかり言葉をはくと、
"ぼて投げられる"
むっと怒りが顔を出す。
実は師の深い教え(愛)がそこにあるのだった。


執われとは、そんなにやっかいなものなのだ。
「嫌われてまでも教えるほうの身も解ってくれよ」
と師は言っているのである。


そして、私の中に巣くっていた怒りという執われが
いつの間にかとれているのである。


そして、師はついに教えてくださった。
「本当のよか人間とは、人のために命を投げ出せることが出来る人間たい」

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あなたの心に最高の感動葬儀を。    「まごころ葬儀 福岡 羅漢」

2010年の初盆営業が始動した。
初盆営業(これも托鉢である)の話題を呈していると、
いみじくも師から教えを頂いた。


食事の席でのことだった。
師はいつも唐突に尋ねる。
私にとっては唐突に思えるのだが、実は時を得ているのである。
機が熟してその縁が来たとき師の説法を頂くのである。


それは私にむけての問いかけではなかったのだが、
まだ存命の母親を持つ同僚へ、
本当の親孝行のありかたの教えであった。


同席している私もその恩恵にあずかる。
そうではなく、同席している者も実はその縁がきているのであった。
胸に刻み込むように、私も聞いていると、
「今の話をどう聞いたね」師は私に問いかけた。
「はい、端で聞いているとよくわかります」
「ああー私はなんにも知らなかったな、世間をしてきてなかったなあと思います」
「親というものは子供のために命懸けで・・・」


うまく言い表せなくていると、
なんと的はずれな答えをするんだい、師はそんな顔をなされた。
「私は親孝行していませんでした」
「お前の言うのはあたりまえのことたい」
「あたりまえのこともしてきとらんとたい」
「親の望むことをしてやるのはあたりまえのことたい」


少しへこんでいると、
「親孝行したいときには親はなしというだろう」
「生きているうちに親孝行したもんは誰もおらん」
「生きているうち親孝行したいなら坊主になるしかなか」


「さあ、今日はなにを教わった!」
またしても師の究極のつっこみが来た。
「う~ん・・感謝?」
安易に答えると、
「教えてやらない」と言ったのちに、
「盆の話がでたから、教えてやるたい」
「盂蘭盆経たい」と言われた。
あっ。あまりの感動に頭を垂れた。


「盂蘭盆経」の内容を知る人もあるかも知れない。
お釈迦様の十大弟子のひとりで、神通力第一といわれた目蓮尊者が亡き母をその神通力でさがすと、
あの優しかった母親が餓鬼道であがいていた。
亡き母に食べ物を供養して救おうとしたが救うことが出来なかった。
どうにかして、母親を救いたい目蓮尊者はお釈迦様に教えを請うた。
するとお釈迦様は、大勢のお坊様を供養すれば
その功徳によって救うことが出来ると言われた。


そして、
この経には常に父母を思い供養しなさい。
父母の慈愛の恩に報いなさい。と説かれてある。


盂蘭盆(うらぼん)とはサンスクリット語のウラバンナの音写で、逆さ吊りの苦しみをあらわしている。
日本の伝統のお盆は正式には『盂蘭盆会』(うらぼんえ)といい、もちろん盂蘭盆経からきている。
盆踊りも盂蘭盆経にある、目蓮尊者の亡き母が地獄から救われ、衆僧が歓喜して踊ったことから
きている。


そして、
「大勢の坊さんに供養するとうことは、全財産をかけて、母親を救うということたい」
と師は言われた。


『なにも温泉に連れて行くことが親孝行じゃないとぞ』
『本当の親孝行とは、手を合わせる縁にあわせてやることたい』
ずっと以前に教えて頂いた師の言葉をかみしめた。


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あなたの心に最高の感動葬儀を。  「 福岡 まごころ葬儀 羅漢 」


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師が問うた。
「摩訶般若波羅蜜多心経とはどういう意味ね」


摩訶(まか)とは摩訶不思議の摩訶で、
般若(はんにゃ)とは智慧という意味だし、
波羅蜜多(はらみた)は、えーと、彼岸に到るかな・・・
などと、そんな答えを師は求めているのではない。


このように頭で考えることを「戯論(げろん)」という。
つまり、"たわごと"だ。
糸島弁で"へっぱく"という。


答えに窮していると、
「摩訶とは智慧たい」
(以前の私なら、智慧は般若じゃないんですか?と、ここは考えるところだ)
「彼岸というだろう。悲願でもある。」
「宇宙の智慧を頂いて、彼岸(悲願)に到れということたい」
「大きな願いを秘めているのだろ」
「あとは、執われるな、執われるなと言っとるだけだ」


ただ恐れ入りました。と頭をたれるばかりである。
観自在菩薩は深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊は皆、空なりと照見して、
一切の苦厄を度したまえり(観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄)
―現代語に訳すると、(葬儀関係のリーフレットによれば)
観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、
物体や精神には実体がなく空であると悟り、
すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた―


・・・うんぬんと学問した者なら解説していく。
師は一言で言う。
"執われるな"


「宇宙の智慧を頂けるようになるには、執われがなくなってしまわんと」
「執われがなくなるには、素直でなくてはいけない。赤子のように」
「頭で考えて解るものではない」
「苦労して解る。貧乏するが一番よか」
「金は便宜上あるだけたい。いつも言いよるが、まだ解っとらんやろ」


そして、師は言われた。
「今日、やっと般若心経を習ったたい。何年かかったね」
師はそう言われた。
師に出会わなければ、何年どころか生涯解らずに終わるはずだった。


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「昔の人で誰が好きね」
突然師が問うた。
「昔ですか?」
「四百年とか、五百年前の」
「うーん・・・竹中半兵衛です」
「どんな人ね」
「外見はおとなしい感じなんですけど、内面は豪毅で、あっそうです諸葛孔明にたとえられています」
(秀吉が劉備にならって"三顧の礼"をもって軍師に迎えた話は周知のとうりである)
「うん」
「何処の人ね」
「えーと、岐阜、美濃の国の人です」
「豊臣秀吉の軍師だった人です」


そんな会話ののちに、
私は師に歴史小説で読んだ竹中半兵衛の逸話をきれぎれに話した。


『天正六年(1578)織田家の武将、荒木村重が信長に謀反を起こし、毛利方に通じた。
そこで信長は、荒木村重と親交のあった黒田官兵衛を最後の説得使として遣わした。
ところが、村重は"知謀の人黒田官兵衛を毛利方にとりこもうとした。官兵衛が拒むと、
土牢に幽閉して、「官兵衛は我が方へ寝返った」と吹聴した。
烈火のごとく怒った信長は、播磨の三木城を攻略中の秀吉に、
「そのほうに預けてある官兵衛の小倅を殺せ」と命じた。』


「村重も一度は叛意をひるがえそうとしたんですけど、家臣から、信長は執念深いから、
いったんは赦されてもいずれ殺されると忠告されるんですね」
「裏切るから裏切られる。なにも悪いことはないとたい」
「自分のした行為は自分に返ってくるだけたい」
「自分が受けて立てばいいとたい」
(その覚悟はできているのか!その真理がわかって行為しているのか。そう教えて頂いたようだ)
「しかし、信長のような者もおらんといかん」
(戦国の世を収拾するために、天が信長をつかわし、天が信長を連れ去ったとも思える)


「秀吉も信長には逆らえず、困って半兵衛に相談するんですね」
「半兵衛は命を懸けて自分の一存で黒田長政をかくまうんです。」
「長政を死なせてしまっては官兵衛にあわす顔がないと思うんです」
「昔のひとは命懸けで生きとった」
「命を懸ければ、すぱっと執われがとれるぞ」
「死ぬ目におうたことはあるか」
「あっ いいえ」
「いっぺん死ぬ目におうてみるとよか。すぱっと変われるぞ」


『信長は播州攻略に援軍を続々そそぎ戦局も好転してきたが、官兵衛の消息はまだ知れない。
労咳(肺結核)」のため、半兵衛の命の灯も消えようとしていた。
死期をさとった半兵衛は枕頭に主君秀吉を呼び、一通の書状を差し出した。
そこには、信長あてに、命令にそむき黒田官兵衛が一子松寿丸を殺さなかったのは、
半兵衛の一存、秀吉のあずかり知らぬこと、いう意味のことが書かれてあった。
「松寿丸は生きているのか!」
半兵衛はうなずき、「それがしの里に隠してござる。官兵衛がいきていればよろしいが・・・」
言葉なかばで半兵衛の息は絶えた。三十六歳の若さであった。
それから五ヶ月後の天正七年十一月、荒木村重の有岡城が落ち、官兵衛が救出された。
一年間の土牢での幽閉で惨憺たる姿になりながらも忠節を曲げなかった官兵衛のことを知って、
さすがの信長はも、「官兵衛に会わせる顔がない」と、松寿丸を殺させたことを後悔した。
が、秀吉から竹中半兵衛のことを聞き及んで心から安堵した。
松寿丸は、のちの福岡黒田藩五十二万石の祖、黒田長政である。』


竹中半兵衛、黒田官兵衛、ともに秀吉の名軍師である。
歴史上の人物に思いをはせ、
師の教えをいただき、心引き締まるものがあった。


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"聞法の真髄"を投稿した翌朝のことでした。(10/2)
「どうね、昨日で解ったろう」
師が私に声をかけた。


「はい、嬉しくてブログに書きました」
「なんと書いたね」
「はい、Tさんのことを書きました」
「そうたい、掃除をし続けていると、なんとのう嬉しくなってくるとたい」


Tさんはいつも、ただ無心に掃除をなさっている。
なんとのう軽くなって嬉しいのだと言う。


そして、師は一言で言われた。
「聞法とは行じること!」

「どうね、昨日で解ったろう」
嬉しかったその昨日のことを書かかねばならない。


実は、わたしも師の言いつけで、お地蔵さまの掃除をさせていただいた。
「お地蔵さんが、しろしかろうやと思うてね」と師が言われる。
("しろしか"とは糸島弁で、せつない?つらい?とほほ?うまく訳せない)
「六地蔵はなんと思う」
「六道だと・・」
「うん」


苔むしたお地蔵さまを、おそるおそる掃除をしているわたしの後ろから
師が問いかける。
「お地蔵さんも気にならなくならんとな」
「地獄を超さんと」
(六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天のことで、人はこの六道を輪廻するといわれているが、
師は一言で地獄と言う)。
お地蔵さまが六体並んでいるのを「六地蔵」という。


「顔をきれいにしてあげたいな」
師の言葉に、ふっと解するところがあった。


お地蔵さまの顔をきれいに擦っていくうちに、だんだん無心になっていく。
"こしごしとやらんとな"師がよくいわれる言葉が心にしみこんでいく。
お地蔵さまを擦ったりして良いのだろうかという思いも消えて、
ただ、ひたすらに作業をつづけた。


「ほら、お地蔵さんが笑った」
師が言われた。
師の言葉に少し離れてお地蔵さまを見てみると、
しろしかったお地蔵さまのお顔がが確かに笑っているのである。

かてごり 師の教え


お葬式のこと、家族葬のこと 何でもご相談ください ・・・・ 「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

師はよく言われる。
「聞法たい」


仏法は聞法と言われている。
以前から知ってはいた。
いや、知っているつもりでいた。


知っているつもりの生意気な頃、
「聞法」を浅く、もっと言えば軽くとらえていた。
お寺さまのお話を聞くこと、
そして、それは自力ではなく、他力ではないか。
(そしてまた、他力の深い意味も知りもしないで)


ある時、師は言われた。
「聞法は問答(もんどう)たい」
「聞くだけではつまらん。尋ねきらな」
師の説法を聞くだけが精一杯で、まだ尋ねきれないでいる状態で、
まして、師と問答するなど。
「疑問に思うたら聞かな」


聞いてその時は心地よい気になっても、たぶん身に付かないだろう。
尋ねて、叩っ斬られて、(しゅんとなって)さとされて、深く教わるのである。


そして今日、師は言われた。
「聞法たい」
「Tを見てみろ」(Tさんは、やはり私の師に師事している先輩)
「いつも聞きたい聞きたいと思うとる」
「だから、聞かせてもらわんでも解らせてもらえるとたい」
「動きの中で解るとたい」
師は、「願い(悲願)があるから、いろんな事(苦手なこと)をさせるとたい」と言われる。
そんな動きのなかで解らせて頂くのである。


悲願(聞きたい聞きたいは悲願のあらわれであり、自力でもあろう)が強くあれば、
何かしら"働きかけ"があるのだろう。
その大きな働きかけを、他力と思っていいのではないだろうか。

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「"せんざいいしき"って知っとうやろ」
「花王とかライオンとか」
「その洗剤じゃなかろうもん」
「ボケてみただけたい」


「ユングのいう潜在意識のことたい」
「南に向いてる窓をあけ~
一人で見ている海の色~」
「ジュディーオングじゃなかとばい」


「仏教では、阿頼耶識(あらやしき)というやつやね」
「知っとうやないね」
「ボケてみただけたい」
「ほんなことボケてしまうばい」


さて、面白くもない漫才ネタはこのくらいにして、
眼、耳、鼻、舌、身、意、を六識といい、
ふつう、私達が感じることのできる感覚です。
『般若心経』では無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんい)といい、
いわゆる「空」を説いている訳ですが、
第七識を、末那識(まなしき)第八識を、阿頼耶識(あらやしき)というそうです。


「ユングの、深層心理のことたいね」
「そうたい」


最近思うには、師の言われる「執われ」とは、
どうもこのことのように思えるのです。


過去の行ない(自分では気づかない、あるいは認めたくない)が幾重にもかさなって、
その深層心理の中に蓄えられているのが、"執われ"ではあるまいか。


一言に"執われ"と言っても狭義から広義まであると思いますが、
本当の意味で"執われ"が無い状態にならなければ、
『般若心経』の世界を知ることはできないのだろう。


人間だれしも、自分の暗の部分は隠しておきたいものですが、
白日の下にさらせば、"執われ"がとれるのだと言います。
これを、懺悔(ざんげ)といいます。
師は言います。
「懺悔とともに消ゆるなり」


最近気がつきました。
私はかなりの"かんしゃく持ち"です。
私がなかなか懺悔しないので、
師はわざとカリカリさせるのです。


無性に腹が立った後、何故かスッキリします。
「ひとつ、"執われ"がとれたとたい」
師はそのあと、さとすように私に語りかけてくださいます。


腹を立てた自分が申し訳なくなり、
やがて、とてもありがたくなります。


できの悪い私を、
(薄皮を一枚一枚剥ぐように)
師は気長く導いてくださいます。
まだ、ほんとうの感謝が身に付いていませんが、
"義理はり"だけは忘れずに生きていきたいと思います。


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「四苦八苦とはどういう意味ね」
いきなり師が問うた。


「"やおいかん"とか・・・」
「うん、違うな」
「一般的には大変な目にあうときに使われているようですが・・」
「本、読んできたからわかるやろ。何て書いてあったね」
「生、老、病、死、の四苦と、愛別離苦、怨憎会苦・・」


「それで、本読んで理解できたね」
「いいえ」
「知識だけでは解らんな」


「体がやおいかん時はどれね」
「えーと病・・・」
「四苦たい」
「・・・・」
「四苦八苦とは体と心の苦しみたい」


はっとした。
あやうく"へっぱく"(能書き)言うとこだった。
お釈迦様の説かれた四苦八苦、
解説書を開けばつぶさにある。
「生、老、病、死、の四苦と、愛別離苦などの四苦を会わせて四苦八苦という・・・
生まれてくる苦しみ、老いていく苦しみ・・


「経験せんと解らん」
「彼女と別れたときはどげんやったね」(昔のことだけど、心に執われとして残っているという)
「takなんかはよっぽど苦しんだやろな。なんでだーゆうてな」
「失恋するともよかとたい」


苦しみの根元を知りたくて仏法書を読み、やがて師に出会い、"行"にはいるようになる。
師の言う"行"とは苦しみには苦しみをもって制す。と理解した。
そして、書はいらなくなる。


「体と心の苦しみたい」
今日もまた、一刀両断に切り捨てられてしまった。


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      福岡  葬式・家族葬は、「まごころ葬儀 羅漢」 へ


お経を唱える前にあげる言葉がある。
『開経偈』(かいきょうげ)という。―偈とは詩と解してよい思う―
無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義
むじょうじんじんみみょうほう ひゃくせんまんごうなんそうぐう
がこんけんもんとくじゅじ がんけにょらいしんじつぎ
と読む。
読み下すと、
無上甚深微妙の法は、百千萬劫にもあい合うことかたし。
我れ今見聞し受持することを得たり。
願わくば如来の真実義を解したてまつらん。
となる。
―劫とは、甚だ永い時間(宇宙規模の)を言う―


「百千萬劫難遭遇たい」
師はそう言われた。
「この門をくぐっても遇うとるとは言えん」
「百千萬劫難遭遇、簡単にそう言うが、その深さが解っとらん」
「この頃やっと、この縁に出会えたことをありがたいと思えるようになりました」
「どんなことにでも、(どんな目に遭うても)ありがたいと思えるようじゃないといけない」
「感謝がわかるには、すべての執われがとれてしまわんと」
薄皮を剥ぐように、幾重にも重なった私の執われを、
師は根気よくとってくださっている。
(薄皮が剥がれるとき、必ず苦しみを伴う。このことを感謝できなかったのでした)
すべてのことに感謝できるときが、如来の真実義を解したときかもしれない。


この上ない深い深い妙なる仏法に遇うことは百千萬劫難遭遇なのである。


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ある時、移動中T先輩とガキの頃の話題になり、
親父の話に及んだ。
私がまだ小学生の頃、父は商売に失敗し呉服店を閉めた。
ある日学校から帰ると、たくさんの大人達が話し合いをしていた。
友達を連れてきていたので、母は外で遊ぶように言った。
『債権者会議』だったということは後で知った。
程なくして父は呉服を背負って行商に出るようになった。


私の故郷は炭坑町で、小さな島にもかかわらず、当時栄えていた。
親が炭坑に勤めていた家の子はわりと裕福だった。
『とうちゃんも、炭坑で働けばよかとに』
「一生懸命に働いているのに、親父に随分ひどいことを言ったもんです。」
T先輩にそう言ったそばから、ふいにこみあげるものがあった。
早くに亡くなった父に、親孝行することはできなかった。


"親孝行したいときに親はなし"
言い古された言葉ではあるが、あまりにも真をついている。
この世に生んでもらったことだけでも無条件に感謝すべきことなのに、
まして、どれほどの愛情をそそいで育ててもらったことか。


「本当の親孝行とは、手を合わせる縁にあわせてあげることたい
なにも、温泉につれていくことじゃないとぞ」
「その恩は、世間にかえせばいいとたい」
師の教えが身にしみる。
この両親のもとに生まれてきたからこそ師と出会い、
私自身が手を合わせる縁に出会えることができたのだ。


先日、師に母の七回忌の供養をして頂いた。


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朝、坪(寺の敷地)を掃除していると、
庵の入口に師が立って居られた。
「オハヨウゴザイマスッ」
「元気あるやないね」
「はい、元気になりました。」
「現金な奴っちゃね」
「はい、そうです」
適切な答え方ではなかったが、そう答えた。


と言うのも・・・
この私、時折落ち込む。
「いつも、元気にしとかにゃいかんですばい」
をモットーにしているというのにです。


人間、「氣」でできているそうだ。
「元気」とは"玄氣"であり、"元氣"である。
玄妙なる宇宙の氣であり、大元の氣であるという。
元気がないとは、氣が病んでる状態をいう。
つまり、病気です。
(元気のない奴が、へっぱく(能書き)言ってる場合かっ!)


と言うわけで、元気のないときは叱り飛ばすが一番です。
大抵の場合、自分勝手に悔やんだり、落ち込んだりしているだけで、
♪誰のせいでもありゃしない。
みんなおいらが悪いのさ。♪(尾藤イサオ知ってますか)
なのです。


大の大人(私、小柄です)になっても叱ってくれる人がいるというのは幸せです。


かごめかごめ
籠のなかの鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がすべった
後ろの正面 だあ~れ

ほんとは怖い童謡などといわれていますし、
また、つじつまの合わない歌詞。
ここでこの童謡を考察するつもりはありません。
「かごめかごめ」で検索してみると、諸説あり参考になります。

「かごめたい」師は言われた。
この宇宙をさして、そう言われたのです。
師が言われる「かごめ」とは、つまり「籠目」をさし、
たくみに編み込まれた籠の目のことで、童謡の"かごめ"とは無関係です。
師の言う「籠目」は「インダラ網」のことを言っているようです。

インダラ(因陀羅)とは帝釈天のことで、帝釈天の宮殿にある網は、
ひとつひとつの結び目に宝珠がちりばめられ、宝珠が互いに光り合い映し合い、
その美しさはたとえようもないと言われています。
この網目のひとつひとつが、ひとりひとりの人間をさし、
ひとりひとりが個性を持ちながらも、互いに光り合い映し合っているそうです。

「だから、ひとりとして欠けたらいかん」
「歪(いびつ)であったらいかん」と師は言う。
ひとつが全宇宙であり、ひとりが全員である。ということになります。

『華厳経』に「一即一切」という言葉がある。
「ひとつの塵のなかに全宇宙が宿っている」と表現している。
ひとつがぜんぶ、ぜんぶがひとつ、個と全宇宙はひとつということ。
このことを現代の量子力学によれば、
「1㎝立方の空間に、全宇宙を創造するエネルギーが秘められている」
という理論につながります。

何も難しく考えることはない。
「思いやる気持ち」を忘れてはいないか。
「ひとはひとりでは生きてはいけないのですから」

たぶん、そう教わったのだと思う。

師は言われる。
「お経の中身を知りたいなどと言うけど、
時期が来ておらん時に聞いても解らん。
いくら話しても耳に入らん」
仏法は聞法(もんぽう)という。
教えをいただこうとする者は、まず素直でなくてはいけない。


「あんた達はアタマのよかもんな」
(これは褒め言葉ではない)
「アタマのよかもんは、自分の法律で解釈する」
「執われがあるから、疑う」
だから、教えがそのまま入ってこない。
間違った解釈をしてしまうことになる。
「介錯してやりきらないかん」
「たたっ切るとたい」


"アタマのいいやつ"(物事をしってるつもりの私たち)がお経を解釈することを
『戯論(げろん)』という。
戯論とは有るとか無いとか、ああでもないこうでもないとか、
議論することをいう。(つまり"たわごと")
『戯論(げろん)』をたたっ切ることを介錯という。


「馬鹿がよかとたい」
「馬も鹿もあるけん、"りこうもん"たい」
師はそう言って、アハハと笑った。

「何でお参りするのか解るか!」
突然、師が問うた。
普段、特に意識してお参りしているわけではないので、
答えに窮した。
「ギブアップたい」
「"参りました"といって参るとたい」


およびもつかない答えに、
ただ、「おそれいりました」というほかなかった。


何の思惑もなく、何の執われもなく、
ただ、"仏様にすべてお任せします"とお参りすることが、
「南無阿弥陀仏」「南無釈迦牟尼仏」ということであり、
「"参りました"」とお参りすることなのだ。


万策つきて、ギブアップしたとき、
人は本当に、手を合わせる縁に会うのかもしれない。


「子供を亡くして泣きくれた母親が、釈迦様のところにきたんだが、」
「するとお釈迦様は、死人がでていない家から、何だったか忘れたが、
まあ、米粒としよう。死人がでていない家から米粒をもらってくるようにと言った」
「母親がどの家を訪ねても、死人の出ていない家は一軒もなかった」
「そこではじめて、お釈迦様は母親にさとした」
「悲しいのはお前だけではないんだよ」
「誰もが、同じような悲しみを背負っているんだよ」
「だけど、この母親は理解はしたけども、そこどまりだと思うよ」
「その先のことまでは解らなかった」

 今日、十数年ぶりに逢う知人(私にとって)が遠方から師のもとへやってきた。
その知人と師との会食に、わたしも同席させていただいた。
その席で、師の教えをいただく機会を得た。

 「人間は因があって、この世に生まれてくる」
「地獄に生まれてきたとやけん、そりゃいろいろあるくさ」
「苦労したとか、言っているあいだはまだいかんな」
「苦労したと言っいる暇もないとたい」
「苦労と感じらんごとなるとたい」
「命懸けですか」
「命懸けと思わんでよか。一所懸命たい」

 仏教の根本の教えに"因縁"がある。
人間がこの世に生をうけたことの根元を説く教えであり、あまりにも深い。
"なぜ、自分はこのような境遇に生まれ合わせたのだ"などとは今は一切考えない。
ただ、「この世に修行に来たのだ!」と思い極め、生きていこうとだけ私は思っている。

「ああ、今日あいつから、あんなこと言われたな・・なんて思うこともいらん。
今日も一日終えたな、おやすみ。で眠りにつけばいいとたい」
「貧乏したから身にしみて解ることがあろうが、そしたら、貧乏もありがたかろうが」
「貧乏神も福の神に変わるったい」
「そがん思えば楽しかろうが」

「そういえば、根に持つことがなくなったな」
「イヤなこと言われても、もう忘れとるもんな」
「そげんなってくると、イヤなことも言われんごとなってくるとたい」
「そげんなるごとなっとるとやけん、まかせてゆったり構えとけばよか」

 そうたい。"修行に来たとだ!"と構えることもいらんとたいね。

福岡 初盆のことならまごころ葬儀羅漢

「和え物(あえもの)っていうやろ」
唐突に師が言われた。
「あの、豆腐とかのですか」
「ん辛い、甘いの・・」
「珍味と言うやろ」
「・・はい」
「珍味はつらい目にあわんと味わえん」
「つらい目におうて、はじめて感謝が解る」
「そのへんのことが少しは解ってきたか」
「はい」

菩薩が修める徳目に"六波羅蜜"というのがある。
菩薩とは、菩提薩唾(サンスクリット語のbodhisattveの音写)を略した言い方で、
(略したほうが通っている)悟りを求める人という意味である。
波羅蜜とはサンスクリット語のparamitaの音写で"到彼岸"、
六波羅蜜とはつまり、悟りに到る(到彼岸)ための六つの実践徳目ということになる。
布施(ふせ)持戒(じかい)忍辱(にんにく)精進(しょうじん)禅定(ぜんじょう)智慧(ちえ)
の六つである。3番目の忍辱、たえ忍ぶこと。

「忍耐に勝る修行は無し」という。
忍とは、いつ刃が落ちてくるかわからないこと。
「苦労と貧乏は買ってでもせよ」
師からいただいた言葉である。

法華経(妙法蓮華経)にこの忍辱の行をつらぬいた菩薩の話がある。
妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十(品第二十とは、第二十章という意味)

菩薩あり、この菩薩、町に出ては、
すべての人には仏性(仏になる可能性)がある」という信念のもと、
「我れ、深く汝らを敬い軽んぜず」と言って、礼拝したが、
四衆(僧俗男女)はこれを気味悪がって悪口罵詈(あっくめり)し、
杖や枝、瓦石をもって彼を迫害した。
この菩薩は自身が誹謗迫害されても、
遠くからやはり、「我れ、深く汝らを敬い軽んぜず」と言っては礼拝するのであった。
やがて人は、常に軽んぜずと言う菩薩を「常不軽菩薩」と呼ぶようになった。
この菩薩こそ、お釈迦様の前世の姿といわれている。

つらい目にあって、身にしみてわかることがある。
苦しい目にあって、本当の感謝がわかる。
本当のことがわかったときの味わいを
「和え物」といい「珍味」というのだろうか。


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托鉢をするようになって三年近くになる。
入社当時は疑問に思っていた。
「葬儀社が一軒一軒訪ねるなんて」
その疑問は今、感謝にかっわている。

「何故、托鉢に出るか解るか」
ある時、師は尋ねた。
当時"執われがやまついて"(執われ満杯)いた私に、托鉢は気が重かった。
「世間をするためたい」
(世間はしてきましたよ)心の中で反発する。
「世間に教えてもらうとたい」

 師に出会った頃、(もう十数年も前になる)
常に"苦しいほうを選べ"と教わった。
軟弱者の私には、軽く受け止められる言葉ではなかった。
岐路に立つとき、いつもこの言葉が私の身を固くした。

私にとって托鉢は、まさに"苦しいほう"だった。
"苦労は買ってまでしたくない"のだが、
苦しみながら、どうにか苦しいほうを選んできた。

「お客様にどういうふうに話せばいいのだろう」
という不安と、生真面目(??)な性格からくる、
「仕事に結びつかなかったらどうしよう」
というプレッシャーで気が重かった。

 そんな時であった。
『衆生が仏』ということを教えていただいたのは。
衆生とは世間ということ。
「空気も風も衆生ぞ」
師はそうつけ加ええた。
生きとし生けるもの、森羅万象ことごとく佛ということになる。

山に籠もったり、座禅をしたり、滝にうたれたりするのが、
"修行"ときめつけていた。
「世間からならうったい」と師は言われる。
世間(相手)は、自分の鏡という。
世間でひどい目に遭えば、"お前も同じことをしてきたのだ"
と教えているのである。
『衆生が佛』とはそのことである。
それを感謝で受け止めるとき、世界は一変する。
なにもなくて、見ず知らずのお宅の門口に立つことができるか。
托鉢させてもらうからこそではないのか。
物事を知らなかった私は、ただ頭をたれるばかりである。


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今日二十日は彼岸の中日にあたります。
お墓参りをしたり、お寺様にお参りしたり、
亡くなられた方のお宅へお参りしたりします。

この彼岸のお参りは、特に日本的行事であり、
インドや中国で行われることはありません。

今から1200年程前、諸国にあった国分寺のお坊様が、
春と秋の2回、中日を挟んで前後三日間の計七日間にわたり、
仏を讃えお経をあげたと伝えられています。
そのことから、お彼岸に供養することが、
一般の人にも広がっていったようです。

今日春分の日と秋分の日は、太陽が真西に沈みます。
この日夕日を拝めば、西方浄土を拝むことになると言われています。

"彼岸"は、「到彼岸」を略した言い方で、
サンスクリット語の「パーラミター」(波羅蜜多)を漢訳したものです。
文字どうり彼岸に到るという意味です。
彼岸とは、涅槃であり悟りの世界です。
煩悩に満ちた此の岸(此岸)に対して、彼の岸(彼岸)というわけです。

さて、へっぱく(能書き)はこれくらいにしておかないと、
"へっぱく大賞"をもらうはめになりそうです。

仕事を終えたあと。
「何か聞きたいことがあるのではないか」
「何か聞きたいという顔をしているぞ」
師が私に言った。
答えに困り、言いよどんでいると、
「彼岸とはなんだと思う」
「・・・執われがぜんぶとれた状態ですか?」
(執われていると、こんな答えになる)
「うん、涅槃たい」
「今日私もインターネットでみていたところでした」
「なんと出ていた」
「到彼岸と」
「到彼岸ではいかん」
「到彼岸の先を行かないかん」
「彼岸にとどまっていてはいけない」
「仏様は涅槃に安住せず、またこの世に戻ってきて人のためにはたらくと聞いたことがあります」
「そうたい」
「彼岸は願いでもある」
「彼岸は悲願なのですね」
「そうたい」
―悲願とは、切なる願い。特に仏、菩薩がその大慈悲心から発する誓願をさすー

こんな和歌(うた)があります。
"ひとたびは 涅槃の雲にいりぬとも 月はまどかに 夜を照らすなり"

奇しくも,今日は彼岸の中日です。


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昨日、残業をしていると、
師から声がかかった。
そそくさと片づけ、師のそばへ同席する。

「朝の6時過ぎに、真言(しんごん)の解説がありようたいね」
「テレビですか」
「いいや、ラジオの」
「一字に千の意味を含むという」
「梵字のですか」
「いいや、言葉の中にたい」
「言葉のうらの、本当のことがわからんといかん」
「、感謝といえば、"ありがとうございました"と思うやろう」
たいへんな事を今、私は教わろうとしている。

師の説法はいつもこのように突然始まる。
「だいぶ本を読んできたから解るやろ」
「なんと書いてあったね」
「はい、自分で苦しい目にあわないといけない。
そして、師匠が、師がいないとだめだと」
「苦しい目に遭わないと執われはとれないと」
「そうたい、それも自分ではとれん」
「そうです。どの本にもそう書いてあります」
「だから、苦しい目に遭わせてあげようとたい」
「それが解らんで、恨む」
苦しい目に遭わないと、執われもとれないし、ものごとも身につかない。
私も何度、師をうらんだことだろうか。だが、
"苦しいときを超えたとき、喜びがわいてくる"ことを知った。
そして、ああ、そうだったのかと、はじめて気がつく。
その時、それが感謝に変わる。
本当のことが解るとは、このことだ。

「因縁のことは書いてなかったね」
「はい、書いてました」

「本当は自分というものもないんですね」
「先生のような境地になれば、宇宙に溶け込んだような感じになるんですか」
「執われがぜんぶとれてしまえば、風船のごとなる」
「般若心経はそういうことをいっているんですか」
「色(しき)、いろと書くあれたい。あれはどげん意味ね」
「物、というか、形のあるものです」
「そうたい」
、色即是空(しきそくぜくうーしきすなわちくうなりー)というけれど、
「しかし、"目に見えとるもんは、やっぱりあろうが"といいたくなるな」
「微粒子たい」
「本当はなにもないとたい」
(量子力学の世界でも色即是空らしい。物質をずっと細分化していくと波になる。
この世のすべての物はただゆれているだけ)

「苦しいとか、つらいとかいうとも本当はないとたい」
「そげんなると、なーんもないっていうのがわかる」

その昔、お釈迦様が説法される時は、一対一でされたといいます。
「対機説法」、ひとりひとりの機根にあわせて説くことをいうが、
ひとりひとり因縁も違い、理解のしかたも違う。
そして、聞く時期というものがある。
今このとき、というときに聞かせていただくのを
「対機説法」という。

あまりにも深いこの法を、まだ理解はしていない。
たぶんその時期が来るときのために、
前もって聞かせてくださったのだと思う。

"、本当のことがわかったときが、「感謝」たい"
そして、たぶん執われがあるうちは、本当のことはまだわからない。

福岡 まごころ葬式羅漢

喪家様のご自宅で、
通夜のお務めの後、ご住職から法話をいただいた。
「宗派によって、お唱えするお経は違いますが、私たちは曹洞宗ですから、
"南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)と唱えてください」
「"なむ"とは、お任せしますという意味です。
お釈迦様にお任せしますということです」

そういえば私も"南無阿弥陀仏"の意味が解らないで長い間過ごしていた。
「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無大師遍照金剛」
ご本尊とする仏様によって唱える言葉が違ってくるのだが、
どの宗派がどれなのかも知らずにいた。
それにしても、なぜ"南が無い"なのか?
と、素朴に思っていた時期もあった。

仏教書を読みあさっていた頃、
疑問が解けていくのがうれしくて、
そうなると、よせばいいのに人にも教えたくなってくる。
(被害を被った兄弟に謝っておこう)

南無は、サンスクリット語のナームをそのまま音写しただけで、
漢字そのものに意味はない。
長谷川仏具店の女の子がテレビでいっている、あのナームです。
帰依(きえ)も帰命(きみょう)も南無と同じ意味で
お任せします、ゆだねます、ということです。

お経には、サンスクリット語をそのまま音写した部分がかなりあるそうです。
漢字に訳せない部分があり、また、あえて訳さないほうがいいところもあり。

で、釈迦牟尼仏の"牟尼"―辞書には次のように出ていました。
サンスクリット語muniの音写、賢者、聖者の意。寂黙と訳す。
インドで、山林にあって沈黙の行をする人の称、釈迦の尊称、釈迦牟尼。

今、仏教書は本棚ごとありません。
必要なときはインターネットという、実にありがたいものにお世話になります。

「書物は読むな 」私の師の教えです。
「読まなくても自然と解る」―これを"文殊の知恵"というそうです。(3人寄らずとも)
文殊の知恵をいただけるようになるのは、すっと先のようです。

福岡 まごころ葬儀 羅漢

「私の願い」と題した一編の詩がある。

やさしさと強さを
持てたらいいと思う
そして
あざやかに生きて
涼やかに死ねたらいいと思う

文学青年(?)だった頃、
書きためていたが、(今は何も残っていない)
唯一この詩だけが、記憶に残っている。

はたして、この詩のとおりに生きてきただろうか。
否である。
本当のやさしさ、本当の強さ、
あざやかに生きる本当の意味、
本当に死と向き合うということ、
何も知らずに生きてきた。

"命を懸けよ"
心の中で、師の声がする。
この詩は一言で言えば、
"命を懸けよ"ということだ。

「命を投げ出せるか」とも問われた。
身を固くした私に、師はいわれた。
「執われがなくなってしまえばできるとたい」

師が言われる"執われ"は、
"執着するな"だけでなく、
仏の教えのもっと奥深い処にあるように思える。

言葉で表せないから「妙法」というと、
どこかで読んだことがある。

福岡 まごころ葬儀羅漢

そして、今でも愛していると、云ってくださいますか。
(お前は、あべしずえ かっ!)

猪木さんに、気合いを入れてもらうまでもなく、
「いつも元気にしとかにゃいかんですばい」

「おはようございます」
「どうね?元気ね。」
朝一番、師から声をかけて頂いた。
「ハイ。元気です。」
「いたって元気か!」

ただそれだけで、体の中から元気がわいてくる。
師のまえでは、まるで子供である。
「赤子のように素直にしとかにゃ」
いつも師はいう。

以前は、小理屈を並べていた私だが、
「だいぶ、素直になってきようごたるな」
そう言っていただけるようになってきた。

"素直な心"
三行の教えのひとつである。
"執われのない心"
"感謝の心"
この三つが三行の教えである。

八万四千(はちまんしせん)の仏典ことごとく、
この三行につづまる。と教えて頂いた。
"はちまんしせん"とは極めて多いことを表す言葉である。

そして、三行がそれぞれに独立してあるのではなく、
三位一体となっている。
(そうなんだろうと今、私は思っている。)

「はい。」とそのまま受け入れることに、
以前の私は抵抗をおぼえた。
「じゃあ、自分というものはどこにあるのか」
「人間、矜持("プライドとは違うぞ"ーそう小理屈をつけて)
をもって生きらんばいかんやろが」と。

自分の中の法律を捨てるのは、なかなか難しい。
結構、苦しむんですよ。
素直になることは、自分がなくなる訳ではない。
以前にも増して、自由自在な自分になるのです。

そして、いつも元気でいれるのです。
朝から幸せな気分なので、
ちょっと、"へっぱく"が過ぎました。


福岡 まごころ葬儀羅漢

師と会社の皆と食事をとっていたとき、
食物の話になった。
「バランスよくとること」
「根物は陽、葉物は隠」

「陰陽一元、是天地也。先生に書いていただいたんですよ」
(もう十数年前のこと。)
当時、頭デッカチの私は
この言葉の意味をあれやこれやと考えた。
"これは宇宙をいいあらわしているんだな"
"プラスとマイナスでバランスがとれるんだな"
"夫婦仲良くせよということかな"
"あっ、ビッグバンか"

存在するとは、一体どういうことか。
自分とは、一体何だろうか。
宇宙は、なぜあるのだろうか。
そんなことばかり考えていた。

仏教書や東洋思想の本やらを読みあさり、
どんどん頭はデカくなっていった。
(この馬鹿者が!)

「書物は読むな」
そう教えていただいていたにもかかわらず。
「とらわれるばかりだ」
にもかかわらず、とらわれ満杯になっていった。
(このバチあたりが!)

「苦しい目におうて、本当のことが解ったとき、感謝に変わる。」
「感謝とは、本当のことが解ることたい。」
「なにも、ありがとうございますが感謝じゃないとぞ」
「感謝がわかろうごとなるには、なかなか・・・」

いままで何度も教えていただいてきたのに、
そらごとのように聞いていた。
「いんよういちげん、これてんちなり」
少しばかり得意げに発した私の言葉に、
師がすぐに教えてくださったのだ。

それは、感謝ということを。

人には誰も、人生の応援歌がある。
くじけそうな時、
意気揚々な時、
涙にぬれながら、
心を鼓舞しながら、
口ずさむ歌がある。

美空ひばりの、躍動するステージ。
テレビの画面に釘付けになった。
以来ずっと、私の応援歌になった。

ある朝、
「一緒に来るか。」
掃除をしている私に
師が声をかけてくださった。
「はい」、二つ返事に答え、
師のお供をさせていただく。

社長の運転する車の後部座席で、
神妙にしている私に、師は言われた。
「おまえの願いは何だった」
「・・・・」
「なにを誓ったのか」
「・・・・」
「人のためになりたい。じゃなかったのか」
「はい」
さとすような師の言葉のひとつひとつが、
沈み込んだ私の心にしみてくる。

いちど~きめたら~
にどとはかえぬ~

しずかに師が歌いだした。
社長もそれに続く。
いつしか私は嗚咽をあげ、涙が顔をぬらした。

涙は心を洗うという。
師はすでにわかっていた。
一度たてた「願」がゆらいでいることを。
「おまえも一緒に来るか」ではなかったのだ。
私をこそ連れだしたのだった。

仏教の教えでは、まず"願"(がん)をたてよという。
発菩提心(ほつぼだいしん)である。
"言葉は神"といわれる。
発した言葉はすでに動き出しているのである。

作詞 石本美由起  作曲 かとう哲也
人生一路

一度決めたら 二度とは変えぬ
これが自分の 生きる道
泣くな迷うな 苦しみ抜いて
人は望みを はたすのさ

雪の深さに 埋もれて耐えて
麦は芽を出す 春を待つ
生きる試練に 身をさらすとも
意地をつらぬく 人になれ

胸に根性の 炎を抱いて
決めたこの道 まっしぐら
明日にかけよう 人生一路
花は苦労の 風に咲け

早起きをするようになってから、何ヶ月がたっただろうか。
まだ、夜明けが早かったように思う。
五時に起き、六時に家を出る。
十分もすれば会社に着く。
そして、掃除をするのである。

「何かひとつでも、しつづけたことがあるか!」
「坪(砂利を敷きつめた寺の敷地)の掃除をさせてください」
師の問いに、軟弱者の私はそう答えた。
「それが朝飯まえと言うとたい」
文字どうり、朝食前に済ませるのである。

早起きにも慣れ、どうにかしつづけている私に、
師は教えてくださった。
「石ころのひとつひとつに仏様がおられるのだ」
「そうやって感謝して掃除をすれば、仏様がお前に加勢をする」

坪の掃除を済ませ、朝食をいただきその後、
この、やはり砂利を敷きつめた羅漢の駐車場を掃く。
まだ雑念に支配されているが、
箒を動かしているうちに、わずかの間無心になれる。

写真左の車が、九州では唯一我が社だけの移動式斎場・セレモニーカーである。
いつか、ブログで紹介してみます。
もうひとつの可憐な花は、ウインターコスモスといいます。
秋に咲いた後、また花をつけました。
昨年秋、竹林の裾に私たちが植えました。

ここでお詫びを申し上げます。
前二件11日、12日と初めて写真入りで投稿したのに、
誤って写真を消してしまいました。
ただいま勉強中です。お許しください。

朝六時、玄関を出るまでは気がつかなかった。
雨だ。

溝を流れる雨水はほんのわずかだが、
久しく降っていなかったので、
雨ガッパと長靴をつけ、溝掃除をすることにした。

"雨の日は、溝掃除"
和尚様から教えていただいた事である。
デッキブラシひとつあれば充分である。
雨水がそのまま汚れを流してくれる。

事務所横、ホール側、
泥水や落ち葉も取り除き、きれいさっぱり。
どぶの香りがつきはしたが。

もう年も押し詰まっているので、
托鉢はお休みにしよう。
というわけで、溝掃除に始まり、
倉庫の整理、備品、消耗品の整理、
お寺の山の草刈りと
本日、終日、掃除三昧。フー。
チョトチョト体こわってるよ。

体操しなさい!
和尚様から声が飛ぶ。

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