托鉢ブログ

師の教えー俺はよか人間

師はおりに触れ、よく言う。
「私はしていないことは何もない」(悪いことを、という意味で)
ありとあらゆる"悪いことを"をしてきたろうや、と言う。


仏教では、まず懺悔(ざんげ)せよという。
「なんも悪いことしとらん。なにを懺悔せよというのか」
と、何も知らない(これを無知という)頃は思ったりしていた。


「自分は生真面目な人間、俺はよか人間だと、ようそげなことが言えるばい」
「自分はどんな人間と思うね」
師の問いに答えると、
バッサリと斬り捨てられる。


「なんで手を合わせるか、わかるか。」
「知らず知らずのうちに犯しているであろう罪を懺悔するためたい」
師はそう言う。


無始以来無量罪、今世所犯極重罪、日々夜々所作罪、念々歩々所起罪である。
今思えば、なんと厚顔無恥な自分であったろうか。


人はよく、自分はこんな人間です。などと言う。
師は言う。
「どんな人間かは人(他人)が決めるもんたい」


師の深い愛は無知な奴(私でした)にはわからない。
執われが恨みや怒りの正体である。
師の罠にはまって、うっかり言葉をはくと、
"ぼて投げられる"
むっと怒りが顔を出す。
実は師の深い教え(愛)がそこにあるのだった。


執われとは、そんなにやっかいなものなのだ。
「嫌われてまでも教えるほうの身も解ってくれよ」
と師は言っているのである。


そして、私の中に巣くっていた怒りという執われが
いつの間にかとれているのである。


そして、師はついに教えてくださった。
「本当のよか人間とは、人のために命を投げ出せることが出来る人間たい」

カテゴリ  師の教え

あなたの心に最高の感動葬儀を。    「まごころ葬儀 福岡 羅漢」

トラックバック (0)

http://www.rakan-fuk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1007

コメントを投稿

承認されるまではコメントは表示されません。




このページのトップへ