般若心経の真髄
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師が問うた。
「摩訶般若波羅蜜多心経とはどういう意味ね」
摩訶(まか)とは摩訶不思議の摩訶で、
般若(はんにゃ)とは智慧という意味だし、
波羅蜜多(はらみた)は、えーと、彼岸に到るかな・・・
などと、そんな答えを師は求めているのではない。
このように頭で考えることを「戯論(げろん)」という。
つまり、"たわごと"だ。
糸島弁で"へっぱく"という。
答えに窮していると、
「摩訶とは智慧たい」
(以前の私なら、智慧は般若じゃないんですか?と、ここは考えるところだ)
「彼岸というだろう。悲願でもある。」
「宇宙の智慧を頂いて、彼岸(悲願)に到れということたい」
「大きな願いを秘めているのだろ」
「あとは、執われるな、執われるなと言っとるだけだ」
ただ恐れ入りました。と頭をたれるばかりである。
観自在菩薩は深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊は皆、空なりと照見して、
一切の苦厄を度したまえり(観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄)
―現代語に訳すると、(葬儀関係のリーフレットによれば)
観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、
物体や精神には実体がなく空であると悟り、
すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた―
・・・うんぬんと学問した者なら解説していく。
師は一言で言う。
"執われるな"
「宇宙の智慧を頂けるようになるには、執われがなくなってしまわんと」
「執われがなくなるには、素直でなくてはいけない。赤子のように」
「頭で考えて解るものではない」
「苦労して解る。貧乏するが一番よか」
「金は便宜上あるだけたい。いつも言いよるが、まだ解っとらんやろ」
そして、師は言われた。
「今日、やっと般若心経を習ったたい。何年かかったね」
師はそう言われた。
師に出会わなければ、何年どころか生涯解らずに終わるはずだった。
カテゴリ 師の教え
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