命を懸けるということー軍師竹中半兵衛―
「昔の人で誰が好きね」
突然師が問うた。
「昔ですか?」
「四百年とか、五百年前の」
「うーん・・・竹中半兵衛です」
「どんな人ね」
「外見はおとなしい感じなんですけど、内面は豪毅で、あっそうです諸葛孔明にたとえられています」
(秀吉が劉備にならって"三顧の礼"をもって軍師に迎えた話は周知のとうりである)
「うん」
「何処の人ね」
「えーと、岐阜、美濃の国の人です」
「豊臣秀吉の軍師だった人です」
そんな会話ののちに、
私は師に歴史小説で読んだ竹中半兵衛の逸話をきれぎれに話した。
『天正六年(1578)織田家の武将、荒木村重が信長に謀反を起こし、毛利方に通じた。
そこで信長は、荒木村重と親交のあった黒田官兵衛を最後の説得使として遣わした。
ところが、村重は"知謀の人黒田官兵衛を毛利方にとりこもうとした。官兵衛が拒むと、
土牢に幽閉して、「官兵衛は我が方へ寝返った」と吹聴した。
烈火のごとく怒った信長は、播磨の三木城を攻略中の秀吉に、
「そのほうに預けてある官兵衛の小倅を殺せ」と命じた。』
「村重も一度は叛意をひるがえそうとしたんですけど、家臣から、信長は執念深いから、
いったんは赦されてもいずれ殺されると忠告されるんですね」
「裏切るから裏切られる。なにも悪いことはないとたい」
「自分のした行為は自分に返ってくるだけたい」
「自分が受けて立てばいいとたい」
(その覚悟はできているのか!その真理がわかって行為しているのか。そう教えて頂いたようだ)
「しかし、信長のような者もおらんといかん」
(戦国の世を収拾するために、天が信長をつかわし、天が信長を連れ去ったとも思える)
「秀吉も信長には逆らえず、困って半兵衛に相談するんですね」
「半兵衛は命を懸けて自分の一存で黒田長政をかくまうんです。」
「長政を死なせてしまっては官兵衛にあわす顔がないと思うんです」
「昔のひとは命懸けで生きとった」
「命を懸ければ、すぱっと執われがとれるぞ」
「死ぬ目におうたことはあるか」
「あっ いいえ」
「いっぺん死ぬ目におうてみるとよか。すぱっと変われるぞ」
『信長は播州攻略に援軍を続々そそぎ戦局も好転してきたが、官兵衛の消息はまだ知れない。
労咳(肺結核)」のため、半兵衛の命の灯も消えようとしていた。
死期をさとった半兵衛は枕頭に主君秀吉を呼び、一通の書状を差し出した。
そこには、信長あてに、命令にそむき黒田官兵衛が一子松寿丸を殺さなかったのは、
半兵衛の一存、秀吉のあずかり知らぬこと、いう意味のことが書かれてあった。
「松寿丸は生きているのか!」
半兵衛はうなずき、「それがしの里に隠してござる。官兵衛がいきていればよろしいが・・・」
言葉なかばで半兵衛の息は絶えた。三十六歳の若さであった。
それから五ヶ月後の天正七年十一月、荒木村重の有岡城が落ち、官兵衛が救出された。
一年間の土牢での幽閉で惨憺たる姿になりながらも忠節を曲げなかった官兵衛のことを知って、
さすがの信長はも、「官兵衛に会わせる顔がない」と、松寿丸を殺させたことを後悔した。
が、秀吉から竹中半兵衛のことを聞き及んで心から安堵した。
松寿丸は、のちの福岡黒田藩五十二万石の祖、黒田長政である。』
竹中半兵衛、黒田官兵衛、ともに秀吉の名軍師である。
歴史上の人物に思いをはせ、
師の教えをいただき、心引き締まるものがあった。
カテゴリ 師の教え
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