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神功皇后の足跡(六)染井から飯原まで

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 前回の投稿では、染井の井戸まで書いた。
更に、『糸島風土記』をよりどころに足跡をたどってみます。


 染井にしばらく滞在された神功皇后は、やがてイトデ(伊都県主―いとのあがたぬし)
を先導に、ふたたび高祖山の中腹を南に向かわれた。
当時、大霜(おおしも)というところにあった高祖宮で祈念をこらし、
さらに井原から三雲へとむかわれた。
一行は、三雲の曽根原台地(現在の曽根の住宅あたりだろうか?―rakan-takの勝手な考え)
にあるイトデの居宅で一夜を過ごし、早朝西に進み、三坂(御坂)から、雷山に登ることになった。
雷山中腹の層々岐野(そそぎの)は、当時糸島きっての大集落であった。
イトデの命令によって、ここに集まっていた数百人の野武士たちが、
皇后の一行をよろこび迎えてその勢力に加わった。
勇気百倍した皇后は、さらに頂上にちかい上宮に詣で、ここで三韓遠征の成就と、
亡夫のかたき羽白熊鷲(はしろくまわし)の降伏を祈られたうえ、筒原から不動滝へとくだった。
サガリから鶴ケ坂(つるがさこ)日明(ひあけ)とすすみ、日明の「うぶけの森」というところで
小憩して、武内宿弥(たけうちのすくねー皇后の父であり亡天皇の重臣)らと軍議して、
その夜は飯原(いいばる)の里で一泊することになった。


 そしてその夜、神功皇后の夢まくらに日本武尊(やまとたけるのみこと)の姿があらわれるのである。
そのくだりは、"神功皇后の足跡(三)雉琴神社"に書いたとうりです。
(※日本武尊は神功皇后の亡夫である仲哀天皇の父)

ここまで書いてふと思ったが、そういえば昨日雷山のお客様を訪ねたのだった。


カテゴリ 神功皇后の足跡(完結)   2008/4/12 公開

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