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神功皇后の足跡(八)―最終章―

 神功皇后率いる三韓征伐の軍船は、姪浜(西区)の妙見崎をあとにして、
糸島水道を西に向かった。
更に西へと進み、加布里村(前原市)のイトデの軍、数百を加え、
加布里から船越(志摩町)を経て引津浦に錨をおろした。
ここで皇后は花掛山に登られて祈念をこらしたのち、
こんどは糸島水道の西の入口である子負ガ原(二丈町深江)へと向かわれた。


 皇后は、ちょうど産み月に入っておられたが、この機会を逸してはならぬと、
卵形の美しい二個の石を求めて肌身に抱き、鎮懐として出産の延期を祈られたのであった。
―『神功皇后の足跡(二)鎮懐石八幡宮』でふれていますー


 皇后の軍船は、ここから壱岐、対馬を経ていよいよ朝鮮海峡へと進まれた。
おりからの時化で船はくつがえんばかり、このとき志賀島(福岡市)の豪族、阿曇(あずみ)
が助け船をだしこの軍団に加わった。
このとき、海中の魚ことごとく浮かんで船を押したという伝説も残っている。


 まもなく皇后の軍は目的を果たして、その年の十二月十四日にふたたび子負ガ原に帰られた。
そして、肌身に抱いていた石を元に返されると、にわかに産気づかれた。
こうしてご出産なされた男子こそ、のちの応神天皇である。


 鎮懐石八幡宮の宮司さんにいただいた資料、『糸島風土記』をたよりに、
神功皇后の足跡を駆け足でたどってきたが、
点描の記述になり、つたないシリーズ物になった。


しかし、神話の世界にいた功皇后という方の人物像が、
私の中ですこし浮き彫りにされた気がする。
チャーミングで、統率力があり、たぶん通力のある巫女であったろうと思う。


カテゴリ 神功皇后の足跡(完結)  2008/4/28 公開


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