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戦国時代の糸島(二十一)―波呂龍国寺再興―

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二丈町波呂の龍国寺


それにしても、戦国時代とはいえ何という因果であろうか。
四人までなした男子のうち長男種門と三男繁種を、志摩、岐志の浦で自決に追いやり、
二男の種吉は肥前草野家に養子に出し、いまや怡土(いと)に残るのは我が後継者にと願っていた

四男親種であったのに、この最愛の親種までも非業の死に追いやってしまうとは。
孤影悄然の原田隆種(了栄)であった。


親種が自害して果てた天正二年(1574年)
原田了栄は、三百七十年前原田種直が、平重盛を弔うために建てた波呂の極楽寺を、
再興して、名も曹洞宗龍国寺と改め、親種の霊を手厚く弔った。
原田家第一の武将といわれた了栄、六十五歳になっていた。


ー折しも今日、波呂のお客様より満中陰のギフトの注文がはいり、
その帰り道、彼岸花に彩られた龍国寺に立ち寄った。
境内にある龍国寺沿革には次のように書かれてあった。ー


「曹洞宗萬歳山龍国禅寺は建仁三年(1203)小松内大臣平重盛公の菩提の為
重盛公を開基とし高祖城主原田種直公創建の寺なり
初め小松山極楽寺と号し徹慶智玄大和尚を請じて開山となし天台宗の寺なりしが
至徳元年(1384)足利将軍義満公伽藍仏像を造立し允祐大和尚を請じて曹洞宗となる
その後天正二年(1574)高祖城主原田隆種公は四男親種公菩提の為寺を再興
号を萬歳寺龍国禅寺と改め本室智源大和尚を請じて中興開山となし現在に至る」

カテゴリ 糸島の歴史


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