托鉢ブログ

潜在意識

「"せんざいいしき"って知っとうやろ」
「花王とかライオンとか」
「その洗剤じゃなかろうもん」
「ボケてみただけたい」


「ユングのいう潜在意識のことたい」
「南に向いてる窓をあけ~
一人で見ている海の色~」
「ジュディーオングじゃなかとばい」


「仏教では、阿頼耶識(あらやしき)というやつやね」
「知っとうやないね」
「ボケてみただけたい」
「ほんなことボケてしまうばい」


さて、面白くもない漫才ネタはこのくらいにして、
眼、耳、鼻、舌、身、意、を六識といい、
ふつう、私達が感じることのできる感覚です。
『般若心経』では無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんい)といい、
いわゆる「空」を説いている訳ですが、
第七識を、末那識(まなしき)第八識を、阿頼耶識(あらやしき)というそうです。


「ユングの、深層心理のことたいね」
「そうたい」


最近思うには、師の言われる「執われ」とは、
どうもこのことのように思えるのです。


過去の行ない(自分では気づかない、あるいは認めたくない)が幾重にもかさなって、
その深層心理の中に蓄えられているのが、"執われ"ではあるまいか。


一言に"執われ"と言っても狭義から広義まであると思いますが、
本当の意味で"執われ"が無い状態にならなければ、
『般若心経』の世界を知ることはできないのだろう。


人間だれしも、自分の暗の部分は隠しておきたいものですが、
白日の下にさらせば、"執われ"がとれるのだと言います。
これを、懺悔(ざんげ)といいます。
師は言います。
「懺悔とともに消ゆるなり」


最近気がつきました。
私はかなりの"かんしゃく持ち"です。
私がなかなか懺悔しないので、
師はわざとカリカリさせるのです。


無性に腹が立った後、何故かスッキリします。
「ひとつ、"執われ"がとれたとたい」
師はそのあと、さとすように私に語りかけてくださいます。


腹を立てた自分が申し訳なくなり、
やがて、とてもありがたくなります。


できの悪い私を、
(薄皮を一枚一枚剥ぐように)
師は気長く導いてくださいます。
まだ、ほんとうの感謝が身に付いていませんが、
"義理はり"だけは忘れずに生きていきたいと思います。


カテゴリ 師の教え

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