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戦国時代の糸島(十四)―もうひとりの忠臣,笠大炊介―

原田家武将の第一人者、原田了栄ともあろう人物が、重臣のたくらみに乗せられ、
我が子を死に追いやった事は、終生償うことのできぬ失敗であった。


原田了栄に本木道哲の悪計を告げたのは、やはり、重臣のひとり、
笠大炊介(りゅうおおいのすけ)だった。
種門、繁種兄弟から、"爺"と呼ばれ親しみ頼りにされている人物である。


彼は、家中の者からも信頼厚く、高祖城落城まで原田家を支えていく。
秀吉の九州進出の折りも、原田家の危機を救おうと孤軍奮闘する。
「輝姫」高祖城脱出の折りもやはり、最後の高祖城主信種の側に控え、
輝姫様の無事を祈っていた。


そんな大炊介の諌言(かんげん)にさすがに了栄も目が覚め、道哲追討の軍を出した。
事が破れた道哲は早良方面に逃れていくが、従ってきた雑兵達もひとり抜けふたり抜けして、
早良の羽根戸村にたどり着いた頃には、わずか父子三人だけになっていた。


やがて追っ手の手により道哲父子の命も露と消えた。
陰謀が成功してわずか一日あまりのことであった。
このことがあってすぐ本木の家は断絶した。


みずからの不明から悲劇を招いた了栄の悔恨はいかばかりであったろうか。
了栄は、当時廃寺同様になっていた志摩町岐志の善福寺を再建し、
亡き種門、繁種兄弟の菩提寺として冥福を祈った。
(種門、繁種兄弟はこの善福寺の門前の井戸端で互いに刺しちがえて命を絶った)


後年、原田家が滅亡してから、ふたたび廃寺となっていたが、
福岡藩主黒田忠之がこの史実を知っていたく同情し、
朝倉郡にあった"南林寺"をここに移し、今に至っている。

カテゴリ 糸島の歴史


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