托鉢ブログ

美しき日本語(円谷幸吉の遺書)

1964年東京オリンピックの年、私は中学生だった。
ようやく、テレビが普及しだし、
私たちは、学校の授業で競技を見せていただくこともあった。
そのオリンピックのマラソンで、円谷幸吉は銅メダルにかがやいた。


 数日前、なにげなく付けたテレビに、マラソンの君原さんがでていた。
東京オリンピックの次のメキシコで、銀メダルをとった人だ。
円谷選手の親友だとテレビでは言っていた。
「円谷君のぶんもがんばりました」
自分のことにはふれずに、インタビューに答えた言葉である。
メキシコに出るはずだった円谷選手は、もうこの世を去っていた。
美しく物悲しい遺書を遺して。


 その文にふれたのは、いつの頃かは忘れたが、
若かった私は、おおきな衝撃を受けた記憶がある。


 父上様、三日とろろ美味しゅうございました。
 干し柿、もちも美味しゅうござざいました。
 敏夫兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
 克美兄、姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しゅうございました。
 巌兄、姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました。
 喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒、美味しゅうございました。
 又いつも洗濯ありがとうございました。
 幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて頂き有難うございました。
 正男兄、姉上様、お気をわずらわして大変申し訳ありませんでした。
 幸雄君、英雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君,敬久君、
 みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君,恵子ちゃん、
 幸栄君,裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。


 父上様、母上様、
 幸吉はもうすっかり疲れ切って走れません。
 なにとぞお許し下さい。
 気が休まることもなく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
 幸吉は父母上様のそばで暮らしとうございました。


自ら死に至った経緯については、私に述べる言葉はありません。
ただ、物悲しくも美しい日本語として、心にとまっています。

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