「ガキ」も仏教用語です。
堀内孝雄(アリスの頃、ベーヤンと呼ばれていた)の歌に、
「ガキの頃のように」というのがある。
私にマイクを持たせると、まずはこの歌からはじまった。
(アリス時代からずっとファンであります)
男というものは、少年時代を語るとき、
なぜか「おれがガキのころは・・・」という言い方をする。
"ガキ"という言葉のもつ魅力というか、響きというか、郷愁というか、
そんなものがある。
ところで、日常なにげなく使っている言葉には、
仏教からきているものがかなりある。
例えば、ホトトギスは「ぶっぽうそう」と鳴きます。
仏、法、僧、を三宝といい、聖徳太子も一七箇条で、
"篤く三宝を敬え"といっています。
また、うぐいすは「ホーホケキョウ」と鳴きます。
ホケキョウは"法華経"つまり「妙法蓮華経」のことです。
神仏に手を合わせていた昔の人は、鳥の鳴き声にも仏を見ていたのでしょう。
また、"ダンナ"という言い方。
うちのダンナなんか・・と言えばずいぶん地におちた感じをうけますが、
実は、サンスクリット語の"ダーナ"の音写で「檀那」と書き、布施つまり、ほどこしという意味です。
やがて、"布施をする人"をさすようになり、
転じて、金銭や物品をほどこしてくれる人を、誰でも"ダンナ"と呼ぶようになったわけです。
「いよっ!ダンナ」なんて呼ばれて"有頂天"になったりするととんでもないことになりかねません。
"有頂天"もまた仏教用語で、「天上界における最高の場所」のことをいいます。
さて、"ガキ"のことでした。
ガキは「餓鬼」と書き、飢えている状態で、六道のひとつです。―お施餓鬼(おせがき)という供養がありますよねー
仏教の教えでは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、の六道を輪廻(輪廻転生)すると言われています。
天に生まれても、"有頂天"になって油断していると、また落ちてくるのかもしれません。
この六道のうち、「人間界」に生まれたことは一番の幸せだといいます。
「人身受けがたしすでに受く・・・この身今生において度せずんばさらにいつの世に向かって度す」
うるおぼえですが、確か親鸞聖人の言葉だったと思います。
いま、人間に生まれて仏法に会えて、いま彼の岸に到らないで、いつ行くというのか。という意味だと思います。
天上界と違って、人間界は不自由だが、だからこそ修行するには最適の場所ということのようです。
カテゴリ ちょっとためになる話
トラックバック (0)
http://www.rakan-fuk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/548













