彼岸は悲願なり。
今日二十日は彼岸の中日にあたります。
お墓参りをしたり、お寺様にお参りしたり、
亡くなられた方のお宅へお参りしたりします。
この彼岸のお参りは、特に日本的行事であり、
インドや中国で行われることはありません。
今から1200年程前、諸国にあった国分寺のお坊様が、
春と秋の2回、中日を挟んで前後三日間の計七日間にわたり、
仏を讃えお経をあげたと伝えられています。
そのことから、お彼岸に供養することが、
一般の人にも広がっていったようです。
今日春分の日と秋分の日は、太陽が真西に沈みます。
この日夕日を拝めば、西方浄土を拝むことになると言われています。
"彼岸"は、「到彼岸」を略した言い方で、
サンスクリット語の「パーラミター」(波羅蜜多)を漢訳したものです。
文字どうり彼岸に到るという意味です。
彼岸とは、涅槃であり悟りの世界です。
煩悩に満ちた此の岸(此岸)に対して、彼の岸(彼岸)というわけです。
さて、へっぱく(能書き)はこれくらいにしておかないと、
"へっぱく大賞"をもらうはめになりそうです。
仕事を終えたあと。
「何か聞きたいことがあるのではないか」
「何か聞きたいという顔をしているぞ」
師が私に言った。
答えに困り、言いよどんでいると、
「彼岸とはなんだと思う」
「・・・執われがぜんぶとれた状態ですか?」
(執われていると、こんな答えになる)
「うん、涅槃たい」
「今日私もインターネットでみていたところでした」
「なんと出ていた」
「到彼岸と」
「到彼岸ではいかん」
「到彼岸の先を行かないかん」
「彼岸にとどまっていてはいけない」
「仏様は涅槃に安住せず、またこの世に戻ってきて人のためにはたらくと聞いたことがあります」
「そうたい」
「彼岸は願いでもある」
「彼岸は悲願なのですね」
「そうたい」
―悲願とは、切なる願い。特に仏、菩薩がその大慈悲心から発する誓願をさすー
こんな和歌(うた)があります。
"ひとたびは 涅槃の雲にいりぬとも 月はまどかに 夜を照らすなり"
奇しくも,今日は彼岸の中日です。
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