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托鉢ブログ

師のもとには、時々遠方から、
ただ、師にお会いするだけ(教えを請うだけ)のために、
人が訪れる。


以前の私もそうであった。
ただ、長崎県からの私は序の口ではあったが。


今日、私も知る人が、
遙か遠方から師のもとへやってきた。
(私にとっては数年ぶりでした)


その方たちが帰られた後、
師はニコニコしながら言われた。
「やさしいばかりじゃいかん」
「気合いいれてやったたい」


その意味がよくわかっているので、
私もニコニコしていたら、


「takは解るやろう」と師がいわれるのへ、
「はい、解ります」と答えた。


以前、いやつい最近まで、よく師に諭された。
「takはやさしいからな」
「小言をいわれるのは好かんやろ」
「やさしく言うて欲しいか!」
「人にやさしいのは、自分もやさしくしてほしいからたい!」


"自分がして欲しくないことは、人にもするな"
以前、私のなかでは規範となっていた、偽りのやさしさは、
師によって見事に斬り捨てられた。
たんなるやさしさは逃げにすぎない。


『真実に人を救うなら、悪をも行え』
八宗の祖、龍樹菩薩の言葉である。


『非情になりきれ、その後に出てくるやさしさは本物たい』
師の言葉である。


「風邪は治ったか」
「はい!直りました」
「気合いはいっとうやないね」
「はい!」
「気合い、気合い」
今日、辞する時の師と私の会話です。

カテゴリ 師の教え


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

今日、
師と我が社の皆と食事中。


「朝のラジオ聴いた者はおるね」
師が突然言われた。
若干一名を除いて、聴いた者はいなかったので、
どんな話だろうと、皆、耳を傾けた。


「姑(しゅうとめ)を殺したいほど憎い嫁がいて、
ある時、お医者さんに毒薬で殺してもらう相談をするったいね」


「そしたら、お医者さんが言うには、
いっぺんで死んだら、貴女が疑われるから、
ちょうど一ヶ月後に死ぬように、私が薬を調合してあげよう。
と、言う訳よ」


「そして、ちょうど一ヶ月たった時、
姑が嫁に言うわけ。
貴女ほど良い嫁はいません。
本当に良く仕えてくれました。
感謝しています。と」


(んっ?死ななかったの)


その?に答えるように師は話を続けられた。


「その医者は、薬を渡すときにこう言うわけよ。
そのかわり、薬を飲ませるときに、何かひとつ感謝の言葉をいいなさいと。
貴女も一ヶ月辛抱すれば、自由になれるわけだから、できるでしょうと」


「感謝するが一番よか!」
師はそう言われて、話を終えられた。


(じゃあ、毒薬ではなかったわけだ)


もう、別の話を始められた師に私は訊ねた。
「先生、その薬は弊害のないものだったのですか」
「そうたい、メリケン粉・・いや、そば粉だった」


(なんと、ニクイ処方箋であることか)
ここで言う『ニクイ』は
"えもいわれぬすばらしい"と言う意味で使っています。

カテゴリ ちょっとためになる話


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

今日、仕事を終えたのち、師が問うた。
「今年はどんな年だったね」
「しろしかったね」
(しろしかとは、糸島弁で、つらい かな?)


「いいえ、今年はありがたい年でした」
「いつからね」
「そうですね、甑島(こしきじま)に行ってからでしょうか」
「なるほど」


今年のいつだったか、
鹿児島県甑島に、師のお供をして、
と言うより、連れて行っていただいた。


「とにかく、このつらさから抜け出したいと思ったろう」
「はい、身をもって教えていただきました」
「takには、あれが一番よかったやろうな」
「こっちは何の手もくださなくてもいいんだから」


海育ちのくせに、めっぽう船に弱い私は、
大時化の船旅でくたくたに酔ってしまったのだった。
ただひたすら、このつらさから早く抜け出したいという思いだけだった。


「抵抗するから酔うったい」
「波に身を任せとけばいいとたい」
やっとの思いで港に着いたとき、師は言われた。
気分が小康状態になった私は、
言わずもがなの言葉を吐いた。
「こんな状態の時は、ほかの心配事は忘れるんですね」
「ただ、この状況さえ抜け出せればといいと思うだけですね」


「それが、takの今の状態たい」
「ずっと人生に酔ってきたとたい」


思わぬ(期待せざる)言葉が師から返ってきた。


こざかしくも私は、
よく仏教書の解説文にあるような、
ましてや、その受け売りで言葉を吐いたのだった。


つまり、こういうことだ。
下世話なたとえで言えば、(このたとえはオリジナルですが)
悩みをかかえているとき、トイレがしたくてたまらないとする。
こんな時、とにかく、トイレの場所にありつきたいと思う。
そして、用をたしているとき、幸福感に満たされる。
その時、当面の悩みはどこかえとんでいっている。


だから、『悩みなどという実体は、実は無い』
というわけだ。


師はいつも、その上をいく。
(師の言葉を借りるならば"ぼて投げる")
こざかしいことなど、いっさいいらない。
ただひたすら、素直であればいいのです。


「世間の人もみんなそうたい」
「これを人並み(ひと波)というとたい」
「ひとなみじゃいかんとたい」


「わたしが何も教えんでもよか」
「こげん手のいらんことはなか」
そう言って師は愉快そうに笑ったのでした。


以上が甑島での教えでした。


「感謝が解ってきようごたるね」
「はい、おかげさまで」
「簡単に感謝しますなどとは言えなくなりました」


「しろしかめにいっぱい逢うたからたい」


つらいめに押さえつけてでもあわせてくれる師の愛情が、
今はとてもありがたく思えるようになった。


『本当のことが解ったときが感謝たい』
何度も何度も聞いてきた師の言葉がよみがえった。


カテゴリ 師の教え


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

二日続けて、
奇しくも、「船に乗っていたよ」というお客様に会った。
お一人は、以前このブログに登場した方で、
『俺が死んだら海に投げてくれ』と言ってるんだよの人。
よく托鉢にまわる地域なのだが、
あれ以来の再会である。


今度もまた、『俺が死んだら海に投げてくれ』は変わらなかった。
意志が硬い!!
「子供は納得した顔はしていないんだが」と言う。
散骨については、昨今話題にはなっているようだけど、
まだまだ、少数ではある。


「うちでも何度か散骨していますよ」と言うと、
その方はすこし驚いた表情をみせた。


「かといって、神仏には手を合わせるんだよ。
今日だって、神社に柴を持ってお参りしてきたばかりだよ」
なんとか海峡(ちゃんとした名前を言ったんのですが、ボケぎみの私、忘れてしまいました)
フィリピンと台湾の間にある海峡で、戦時中たくさんの日本人が犠牲になったそうです。
「船に乗っていた頃は、その海峡を通る時はかならず伏し拝んだものだよ」


「じゃカタログ差し上げておきますので」
「この前、もらったからいいよ。ちゃんととってあるから」
「もう少し待っといて」
「終えたら(しまえたら)おたくに頼むから」
本気か挨拶か、そう言われた。


さて、その翌日。
もうひとりの船乗りさん
三年程前からの托鉢で、すこしずつ顔見知りになってきた方。
はじめの頃は、
「まだ死にとなか!」と追い返された。


「ああ、羅漢さんか」
「お仕事中にすみません」
「考えなきゃいかんとは思うけど、
この歳でも二の足踏むな」


日曜大工の手を止めて、話し始めた。


「いや~俺も船に乗っていたから・・」
「遠洋ですか」
「いいや、商船のほう」


「話がはずんでるようですね」
奥さんがコーヒーと椅子をすすめてくれた。


縁とは不思議なもので、
石炭船に乗っていた頃、
私の故郷の炭坑町に石炭積みに来たという。
よほど身近な人しか知らない蠣浦(かきのうら)という地名まで飛び出した。
おまけに、若い頃(私が)いた千葉に長く住んでいたという。
我孫子(あびこ)。なつかしい地名を聞いた。


「まごころサポートクラブ」は置いといて、
昔話(お互いの)に終始した。


「また来ます」
「はい」
ご夫婦で答えてくれた。


俺が死んだら・・の方は私より十歳上。
この歳でも二の足踏むな・・の方は私より二十歳上。
少し、仲良くなれた元船乗りさん。
今後ともよろしくお願いいたします。

カテゴリ 托鉢日記


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

ある家族葬をお世話させていただいた時のことでした。
まだ若い息子さんを亡くされたご家族様の要望は、
身内だけで送りたいとのことでした。


仮通夜をご自宅で家族だけでいとなみ、
翌日、お迎えにあがり、ファミリーホールにおつれしました。


花に囲まれた息子さんの遺影のまえに立たてたとき、
はじめてお母さんは泣き崩れました。
(・・・このご様子は察してあまりあるものでした)


お通夜では、
ごく身近のかただけで故人を偲んでおられましたので、
あえて式進行はひかえることにしました。


悲しみのさなかにある時、
憤り(いきどうり)と背中合わせにあり、
そのやり場をだれにぶつけようもなく、


そんな中で、ご遺族様と接する私たちは時折、
そのやり場を引き受けます。


ご遺体をご自宅へ安置したのちの、
お父さんがそうでした。


ご身内だけでの家族葬とはいえ、
ご近所のかたのお参りをご遠慮いただくことや、
ご親戚の香典をお断りすることの大変さ、等々、
私たちの経験上、アドバイスさせていただかねばなりません。


お父さんはの対応はすべて、ノーでした。
ここは、時間が必要でした。


翌日、(通夜の日)お伺いしたとき、
お父さんは穏やかな顔をされておりました。


送り化粧をほどこして、
まるで、眠っているような息子さんの顔を
いとおしげなまなざしで見ておられました。


そして、
昨夜の私たちのアドバイスを受けてくださり、
お呼びする親族のかたの香典をうけ、
返礼品と会葬礼状を用意して下さいと言われました。


葬儀当日、
「喪主挨拶はしない」も撤回されました。
「簡単にいいます」
そう言って、挨拶文のひな形を受け取ったのです。


そして、
二十名ほどの、参列者(ご身内だけの)と、
私たちスタッフは、
喪主様の大きなサプライズをいただいたのでした。


「ここで、本日ご会葬いただきました皆様方へ、喪主様より、ご挨拶がございます」
正面に立たれた喪主さまに、
女性スタッフがマイクを渡そうとしたとき、


お父さんは肉声で語り始めたのです。
そして、おひとりおひとりの席まで歩み寄り、
「○○伯父さん、いつもいつも、気にかけていただいてありがとうございました」
「○○おばちゃん、中学生の時、遊びに行ったとき、いつもおいしいごはんをつくってくださって、
ありがとうございました」
「○○君、(故人の甥っ子)約束を果たせなくてごめんね」
泣きながら、でも、崩れることなく、
とても、自然に、
それでいて、語りかける順番も、ちゃんと決まっているようでした。


息子さんの兄弟に語り終えた後、
最後に、
「お母さん、大丈夫?お母さんのことが一番心配だよ。
大丈夫、お母さん。・・
○○(息子さんの名前)にかわって、お礼を言うよ」


喪主様は、
父の言葉として、息子さんの言葉として、とつとつと語りました。


それは、
温かく、悲しく、おごそかなひとときでした。
参列の人々のすすり泣きがそれを物語っているようでした。


ふとスタッフのほうを見やると、全員涙ぐんでいました。
私は次の式進行に、呼吸を整えなければなりませんでした。


こんな感動的な喪主挨拶に立ち会うのは、始めてでした。

カテゴリ 葬儀社の日常


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

ご主人からも、
子供さんからも、
お孫さんからも、
ひ孫ちゃんからも、
誰からも慕われていたおばあちゃんが亡くなりました。


終焉を迎えたホスピスの看護師さんも、
涙して、お見送りしておられました。


知り合って三年の月日が流れていました。


始めてお会いしたにもかかわらず、
飛び込みの托鉢にもかかわらず、
「おとうさん~葬儀屋さんよ」
「話聞かない」
そう言って、座敷に招じてくださった方でした。


その後、時折訪れたが、
いつも、にこやかに迎えてくださった方でした。


「いま、おとうさんがいるから、話して」
もうその頃は、ご自分のお身体もたいへんな状態であったというのに。


通夜の夜、
おばあちゃんのナレーションの取材で、お孫さんの話を聞かせていただきました。
お孫さんは堰を切ったようにおばあちゃんとの思い出を語り出しました。
「僕たちが小学生の頃、自転車で半日もかけておばあちゃんの所へ行ったものでした
・・・
すでに子供(おばあちゃんからすれば、ひ孫)もいるお孫さんたちなのに
まるで、小学生にもどったような純粋な言葉でした。
それほど、おばあちゃんが僕たちは好きだったんです。
取材をする私には、そのように聞こえていました。


火葬場で収骨を待つ間、
五~六歳のひ孫ちゃんが私に言う。
「おばあちゃんのいるところに行きたいな」
「おばあちゃんのいるところ、ボク知ってるよ」
いまさっき、見送ってきた火葬炉の方をふりかえっている。
「おばあちゃんのところに、行っていい?」
「行けないとよ」
「なんで?」
「ボク、行きたいな」
「もう少し待ってね」
「おばあちゃん、こっちにいるからね」
私は、収骨室の方を向いて語りかけました。


葬儀翌日、喪家様を訪問した。
式後の手続きなどの案内を終え、帰り際、
ひ孫ちゃんが玄関で言った。
「あのね、ボクお空に向かって、おばあちゃん、おはようって言ったとよ」
「そう、よかったね。おばあちゃんよろこんでいるよ」
「おばあちゃん、天国にいるとよ」


優しくて、とても明るい人でした。
信仰心に篤く、強い心をお持ちの方でした。

カテゴリ 葬儀社の日常


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」


突然、師が問うた。
「本(仏教書)を読んで何か役に立ったね」
「・・・・」
「何が一番残っているね」
「あっ、はい。無量寿経です」
「漢文のね」
「いえ、サンスクリットのを現代語に訳したものです」


「どんなところが」
「はい、人はこの世にひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。
誰も共にすることは出来ぬのだ。というところが印象に残っています」
「当たり前のことたいと思っただけだろう」
「・・・・」
「何かこう、心がひきしまる思いがしました」


本を読んで気持ちが高揚したり、殊勝な気持ちになったり、
解ったような気持ちになったりした、思いはあったが、
それによって、身に付いたものはなかった。


無量寿経は阿弥陀経、観無量寿経と並ぶ浄土三部経のひとつで、
浄土真宗のよりどころとする教典といわれています。


「書物は読むな。間違う」
師の教えです。
教えに従い、以前師に差し出した本の中にそれ(サンスクリットの無量寿経)
もありました。


そして、ある時期が来たとき、
師はその部分をコピーしたものを下さいました。
(いま、それは私の手元にあります)
正確にはつぎのように訳されています。


『人はこの愛欲の世間にひとりで生まれ、ひとりで死に、ひとりで去り、ひとりで来るのだ。
行うところに随って苦しみの人生を得たり、幸福の人生を得たりする。行う者自身が
その報いをうけるのであり、代わりに受けてくれる者は誰もいないのだ。
善と悪とはその報いを異にし、わざわいと幸福とは別々のところで、あらかじめ厳然と
(来るべく人を)待っているのであり、人はひとりでそこに趣くのだ。
遠く離れた別々の所に行くのであるから、もはや見ることはできない。(このように)
善と悪とは自然に人の行いの結果として生ずるのだ。・・・(略)』と続く。
<岩波文庫、中村元訳 無量寿経はかなり長大なもので、この文庫本では漢文のお経と、
その読み下し文と、サンスクリットの現代語訳が載せられている>


ある時、師が言われたことがあった。
「因縁のことは書いてなかったね」
「因縁といえば、あまりいい感じはしないだろ」
「親の因果が子に報いとか・・」


因縁とは、因縁生起(いんねんしょうき)を略したいいかたで仏教の根元をなすものと
いわれています。因果ともいいます。
因とは原因、縁とは条件、果とは結果。
これについて、解説したものも読んだりしたが、ややこしいばかりでよく解らなかった。


「自己責任たい!」師は一言で切り捨てた。
自分に起こることは自分で引き受けよ
誰のせいでもなく、すべて、自分が引き寄せたことなのであった。
これが因縁の法であった。


"プラス思考"も、"この世は修行の場"も"人は課題をもって生まれてくる"も
因縁の法を言い換えただけのことでしょうか。


もうずっと以前、師が言われたことがある。
「この世に偶然というものは何ひとつとしてない」


すでに教わっていたのに本ばかり読んでいたのでした(反省)


カテゴリ 師の教え


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

お経のほとんどは「如是我聞」という言葉からはじまる。
これを読み下すと、"是くの如く我れ聞けり"となり、
「私はこのように聞きました」という意味です。


例えば、阿弥陀経は、以下のようになる。
「如是我聞、一時佛在、舎衛国、祇樹給孤独園、・・・」
私はこのように聞きました。
ある時、お釈迦様が舎衛国の祇園精舎に滞在している時に・・・


お経はお釈迦様が著したわけではありません。
お釈迦様が亡くなられた後に、
その教えを後世に残そうと、弟子たちが編纂したものです。
「私はお釈迦様からこのように聞きました」
と、それぞれの弟子たちが、その教えを語り、経文ができていきました。


さて、例によって "へっぱく"(糸島弁で、無駄ばなし・・私流には能書き)
から始まってしまいましたが、


つい最近、師のこれまでの歴史をおたずねすることがあり、
「如是我聞」が、私の中でクローズアップされた。


「takの理解している如是我聞は、"私はこう聞きました"というところだろう」
「如是我聞は聞法たい」
「聞くだけじゃいかん」
「言うことをきくことたい」
「一言で言えば実行すること!」
お経は一字に千字の意味を含むといわれる。


「如是我聞」の四字には深い意味があったのだ。
「お経の中味が知りたいなどとよく言うが、実行せななんにもならん」


以前、
八万四千(きわめて多い数をいう)の経文ことごとく、
三行の教えにおさまる。と教わった。
素直な心、執われのない心、感謝の心がお経の中味であった。
「如是我聞」は、素直な心と理解した。
師の教えを赤子のように素直な心で実行することが「如是我聞」であった。


カテゴリ 師の教え


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

「こんにちは」
「先日おじゃましました羅漢です」
折よく、庭の手入れをしていた奥様に声を掛けた。


「ごめんなさい。通れないですね」
剪定したあとの小枝を片づけながら、
「今日は主人もおりますので」
と、玄関へ案内してくださった。


「おとうさん~お客さんですよ」
「羅漢さんがみえましたよ」
えっ、もうそんな段取になってるんですか!


先日(10月1日)
志摩師吉(しまもろよし)を托鉢した折り、
やはり、庭先におられた奥様に、(奥様とは初見)
「まごころサポートクラブ」の案内をさせて頂いていた。


「2~3日前も、そろそろ考えなきゃと話していたところなんですよ」
「うちは転勤族でしてね」
「北海道を皮切りに、ここに落ち着いて二十年くらいになります」
「お寺も(菩提寺)北海道のほうにあるんですよ」
「家族葬の相談にのってくれるんですね」
「お墓なんかの相談にものってくれるんですね」


そんなことをうかがいながら、
ひとつひとつ、ご説明させて頂いていた。
「主人に話しておきます」
「また、お伺いさせていただきます」
「その時までには・・・」
特に、いつとも約束はせずに、おいとましてしたのでした。


一年程前、一度お会いしていたご主人が玄関に出てこられた。
「カタログは見せてもらったよ」
「嘘はないだろうから・・」
「はい。書いてあるとうりですよ」
「なんか、書類に書くんですか?」
「はい、申し込み用紙に記入していただくだけでいいんです」
「お母さん、あれ用意して」(入会金のことです)
「二~三分待ってください」
言い残して、ご主人は書斎(かな?)に申し込み用紙を書きに戻った。


「羅漢さんはここからどのくらいかかりますか」
「すぐですよ。10分でいきますよ」
「そんなに近いんですか」
「いや~ここは志摩だから、二丈といえば遠いイメージがあったから」


そのイメージを払拭すべく、
この地域を托鉢してきたが、
先輩のTさんの言葉をかりれば、ついに"風が吹いてきた"のだ。


帰り際、すでに庭の手入れに戻っていた奥様に
「ありがとうございました」
「おかげさまで会員様になっていただきました」
と、ご挨拶すると、
「こちらこそよろしくお願いします」
と言ってくださった。


会社に戻ると、
女性のほうのTさんも会員様入会を決めてきたとのことで、
本日、ひとくぎりの目標が達成した。

カテゴリ 托鉢日記


あなたの心に最高の感動葬儀を。   「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

暑さ寒さも彼岸までとはいうが
「暑いですね」
「ほんとですね」
そんな挨拶を今日も交わしながらの托鉢です。


思い当たるお宅が数軒あり、
訪問するが留守ばかり。


そんな中、携帯がなる。
老眼を細めて表示を見ると懇意にしている会員のMさん。
「今から出て行きますので」とのこと。
(三回忌のギフトは私がついでの時に取りに来ます。と言ってたわけで)
「はい、お待ちしております」と答え、
会社に戻った。


用件を済ませ、Mさんを見送り、十一時。
しきり直しで、今度は西へ。


「こんにちは」
「お盆の節はお世話になりました」
「ああ、何かうちんとに(奥さんのこと)言いよったことやろ」
(・・・言い寄るではありません)
「どげんですか、そろそろはいっとかんですか」
「あんたがやっさと来るけんはいっとかなやろ」
(やっさととは何回も、わたしの田舎ではごっとりといいます)


この方はお盆になると、ごっとり来て、高級八女提灯を買っていく人で、
羅漢をひいきにしてくださるのです。
このお盆は新たなお客様まで伴って来られたのでした。
もちろんそのお客様も提灯を買って行かれました。


「まあ上がってください」
「金はないけど」といいながら、
申し込み用紙に書き込んで下さった。


奥さんが冷たいお茶をだしながら、
「私たちのためにはいる訳ね」
(次は私たちの番ねという意味です)
「いや、羅漢さんのためにはいるとたい」
とご主人が笑いながらきりかえす。


「はい、私たちも会員様のために誠意をもってつくしますが、
会員様が加入してくださることで、羅漢を支えて頂くことになります」
そう答えると、
ご主人は、真顔に戻り、うなずいてくれた。


そして、
「行ってみんしゃい」
といって、知り合いのお宅を教えてくれた。


さらに午後、
もう一軒思い当たるお宅があり
「こんにちは、またお願いに参りました」
「はいっときましょうかね」
と二つ返事で応じてくれた。
(このお宅もやっさと通ったのでした)


そして夕方、
「行ってみんしゃい」
と教えて頂いたお宅を訪ねると、
あの人が紹介したのならという顔で応じてくれて、
「はいらんでもお宅でするよ」
「はいっとけば、安心ですよ」
「今度ね」
「また来ますから」


そんなわけで
本日、「まごころサポートクラブ」デー でした。


カテゴリ 托鉢日記


あなたの心に最高の感動葬儀を 「福岡 まごころ葬儀 羅漢」

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