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托鉢ブログ

2010年の初盆営業が始動した。
初盆営業(これも托鉢である)の話題を呈していると、
いみじくも師から教えを頂いた。


食事の席でのことだった。
師はいつも唐突に尋ねる。
私にとっては唐突に思えるのだが、実は時を得ているのである。
機が熟してその縁が来たとき師の説法を頂くのである。


それは私にむけての問いかけではなかったのだが、
まだ存命の母親を持つ同僚へ、
本当の親孝行のありかたの教えであった。


同席している私もその恩恵にあずかる。
そうではなく、同席している者も実はその縁がきているのであった。
胸に刻み込むように、私も聞いていると、
「今の話をどう聞いたね」師は私に問いかけた。
「はい、端で聞いているとよくわかります」
「ああー私はなんにも知らなかったな、世間をしてきてなかったなあと思います」
「親というものは子供のために命懸けで・・・」


うまく言い表せなくていると、
なんと的はずれな答えをするんだい、師はそんな顔をなされた。
「私は親孝行していませんでした」
「お前の言うのはあたりまえのことたい」
「あたりまえのこともしてきとらんとたい」
「親の望むことをしてやるのはあたりまえのことたい」


少しへこんでいると、
「親孝行したいときには親はなしというだろう」
「生きているうちに親孝行したもんは誰もおらん」
「生きているうち親孝行したいなら坊主になるしかなか」


「さあ、今日はなにを教わった!」
またしても師の究極のつっこみが来た。
「う~ん・・感謝?」
安易に答えると、
「教えてやらない」と言ったのちに、
「盆の話がでたから、教えてやるたい」
「盂蘭盆経たい」と言われた。
あっ。あまりの感動に頭を垂れた。


「盂蘭盆経」の内容を知る人もあるかも知れない。
お釈迦様の十大弟子のひとりで、神通力第一といわれた目蓮尊者が亡き母をその神通力でさがすと、
あの優しかった母親が地獄道であがいていた。
亡き母に食べ物を供養して救おうとしたが救うことが出来なかった。
どうにかして、母親を救いたい目蓮尊者はお釈迦様に教えを請うた。
するとお釈迦様は、大勢のお坊様を供養すれば
その功徳によって救うことが出来ると言われた。


そして、
この経には常に父母を思い供養しなさい。
父母の慈愛の恩に報いなさい。と説かれてある。


盂蘭盆(うらぼん)とはサンスクリット語のウラバンナの音写で、逆さ吊りの苦しみをあらわしている。
日本の伝統のお盆は正式には『盂蘭盆会』(うらぼんえ)といい、もちろん盂蘭盆経からきている。
盆踊りも盂蘭盆経にある、目蓮尊者の亡き母が地獄から救われ、衆僧が歓喜して踊ったことから
きている。


そして、
「大勢の坊さんに供養するとうことは、全財産をかけて、母親を救うということたい」
と師は言われた。


『なにも温泉に連れて行くことが親孝行じゃないとぞ』
『本当の親孝行とは、手を合わせる縁にあわせてやることたい』
ずっと以前に教えて頂いた師の言葉をかみしめた。


カテゴリ 師の教え


あなたの心に最高の感動葬儀を。  「 福岡 まごころ葬儀 羅漢 」


前原を托鉢した。
この年の一月から糸島市となり、「前原市」という地名が消えたのだが、
"まえばる"という意識はまだ残っている。


一市二町の頃は前原、志摩、二丈それぞれの意識があったようだけど、
糸島市誕生によって、怡土(いと)と志摩(しま)はひとつになった。
この糸島の歴史をさかのぼれば、怡土と志摩はかつて仇同士だった。
とはいえ、その歴史を考察する資格は私にはない。


ただ、私の托鉢は、ひとつになった糸島をエリアと考えていこうと思う。


へっぱくはさておき、
今日はお客様と楽しいバトルがあったので、再現してみます。


ピンポーン。
「はーい」
「お忙しい時間におそれいります。羅漢と申します」
「表になんか書いてありましたけど、おじゃましましたあ」
「ああ、書いていても大抵はいってきよりますよ」
「私も一瞬たじろいたんですけど、思い切ってピンポンしたんですよ」
「あは、」―先方少し笑うー
「今日は"まごころサポートクラブ"と申しまして、私共の会員制度のご案内で来たんですよ」
「葬儀代ってかなりかかるじゃないですか」
「そうなのよ。うちなんか金ないからそんなかけられないですよ」
「たぶん冗談で書いているとは思いますけど、そんな方にはうちの制度は最適ですよ」
「あは、」―また笑うー
―ここで、勢いに乗じてセールストーク展開!


「主人と相談してみます」
「わたくし、takと申します」
「えーと名刺・・あっ申し訳ありません。名刺入れ忘れて来たみたいです。
営業マンとして失格ですね」
「いいですよ。これに書いておきますから」
―私胸の名札を手で示す。先方渡したパンフを示すー


「またおじゃまさせて頂きます」
「今度来るときも、玄関で一瞬ためらってピンポンを押しますから」
「あは、」―またまた笑いー
「ありがとうございました。失礼しまーす」


金欠病及び病気療養中につき、押し売り、訪問販売一切お断りします。

玄関の入り口には、こんな木札が掛けてありました。

カテゴリ 托鉢日記


あなたの心に最高の感動葬儀を。  「 福岡 まごころ葬儀 羅漢 」

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千早新田の仙厓歌碑」


久々の日曜日の托鉢に出た。
二丈のすぐ隣に位置する加布里(かふり)と隣り合わせているにもかかわらず、
何故かいままで私とは縁がなかった千早新田である。
加布里から、弁天橋を志摩方面へはいつも車を走らせているというのに。


数日前から千早新田が頭にうかんでいた。
今日は弁天橋の手前から右折して、ついに足を踏み入れたのだった。(そんなたいそうな)


「仙厓歌碑」がすぐ目に止まった。
"千早振神代の海を田作りて民もゆたかに歌ひ舞里"
日本最初の禅寺、聖福寺の住職、仙厓和尚が、
天保四年(1833)この地の干拓工事の完成をいわって作った歌だということです。
干拓によりできたこの地名を歌にちなんで「千早新田」と名付けられたと案内板には書いてありました。


神代の昔からの海を田に作り変えて喜ぶ住民が
豊かに歌い舞っているという意味だそうです。
じゃあ、千早ぶるの意味はどういうこと?と思って調べてみると、
枕詞、接頭語であって、その後に「神」という語が続くらしい。
"歌舞里"(歌ひ舞里)は当時の港の地名「加布里」のパロディであることが、
いかにも仙厓和尚さんらしいユーモアを感じます。と案内板にあります。


さて、へっぱく(むだ話)がすぎました。


「こんにちは、お仕事中にすみません」
庭先で作業をしているおばちゃんに声をかけた。
「手は離せませんよ」
「はいどうぞ、手は休めずに聞いてください」
「今日は私たちの"まごころサポートクラブ"と申しまして、
新しいタイプの会員制度のご案内で来たんですよ」
「うちは農家だからね」
なるほど!!(JA職員?)
「盆栽、すごいですね。これだけの数あるってことは・・・
趣味ですか?出荷してるんですか?」
「趣味が高じてね・・」
「もう二十年になるよ」
「なんでも続けることが大事ですね」
「そうよ」
「私たちも十年過ぎました」
「じゃあだいぶ、お得意さんも増えたでしょ」
「はい。おかげさまで」
「じゃあ五十はすぎたかね」
「はい。過ぎたところです」
だいぶサバ読むことにはなるが話をあわせた。
「おじゃましました」
「がんばりなっせ」


これが托鉢のいいところです。
まあ望めないお客様であってもカンバセーションを楽しめます。


カテゴリ 托鉢日記

あなたの心に最高の感動葬儀を。  「まごころ葬儀 福岡 羅漢」

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師が問うた。
「摩訶般若波羅蜜多心経とはどういう意味ね」


摩訶(まか)とは摩訶不思議の摩訶で、
般若(はんにゃ)とは智慧という意味だし、
波羅蜜多(はらみた)は、えーと、彼岸に到るかな・・・
などと、そんな答えを師は求めているのではない。


このように頭で考えることを「戯論(げろん)」という。
つまり、"たわごと"だ。
糸島弁で"へっぱく"という。


答えに窮していると、
「摩訶とは智慧たい」
(以前の私なら、智慧は般若じゃないんですか?と、ここは考えるところだ)
「彼岸というだろう。悲願でもある。」
「宇宙の智慧を頂いて、彼岸(悲願)に到れということたい」
「大きな願いを秘めているのだろ」
「あとは、執われるな、執われるなと言っとるだけだ」


ただ恐れ入りました。と頭をたれるばかりである。
観自在菩薩は深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊は皆、空なりと照見して、
一切の苦厄を度したまえり(観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄)
―現代語に訳すると、(葬儀関係のリーフレットによれば)
観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、
物体や精神には実体がなく空であると悟り、
すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた―


・・・うんぬんと学問した者なら解説していく。
師は一言で言う。
"執われるな"


「宇宙の智慧を頂けるようになるには、執われがなくなってしまわんと」
「執われがなくなるには、素直でなくてはいけない。赤子のように」
「頭で考えて解るものではない」
「苦労して解る。貧乏するが一番よか」
「金は便宜上あるだけたい。いつも言いよるが、まだ解っとらんやろ」


そして、師は言われた。
「今日、やっと般若心経を習ったたい。何年かかったね」
師はそう言われた。
師に出会わなければ、何年どころか生涯解らずに終わるはずだった。


カテゴリ  師の教え


あなたの心に最高の感動葬儀を。  「まごころ葬儀 福岡 羅漢」

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あるおばあちゃんの葬儀を担当させて頂いた時のことでした。
なにげなく経机の上に置かれの一枚のスナップ写真に目がとまった。
思い出の品として、ご遺族の方が置かれたのだろう。


それは、お箸を親指ではさんで合掌しているおばあちゃんの写真だった。
病床のベットに腰をかけ、食事をとっている光景でした。


そこに、私はお地蔵様を見る思いがした。
こんな美しい合掌を見た記憶は今までなかった。


終焉を迎えた病室で撮された十枚程のスナップ写真にはすべて、
おばあちゃんの笑顔があった。
そして、おばあちゃんを囲む看護師の暖かいまなざしがあった。
(そのスナップ写真で、私はこっそり思い出コーナーをつくった)


ご遺族の方にうかがった、おばあちゃんの波乱の人生も、
すでに、そこに見ることはできない。


人はその過酷の人生を生き抜いたとき、
後にはただ、感謝のこころだけが残るのだろうか。


ナレーション作りのためにと、ご遺族の方にいろいろなお話をお伺いしたが、
こころを洗われるような一枚の写真だけで充分だった。


お葬儀の仕事をさせて頂けるからこそ、
こんな光景に出会うことができました。


『今、去りゆくあなたへ・・・
 私たちもまた、手をあわせて送ります。
  ありがとうの言葉をそえて。』

私はナレーションをそんな言葉でしめくくった。

カテゴリ 葬儀社の日常

あなたの心に最高の感動葬儀を。  「まごころ葬儀 福岡 羅漢」

托鉢の帰り道、携帯が鳴った。
「今どこですか?」女性スタッフのSさん。
「○○様が見えてますよ」という。
「加布里過ぎたとこ、もう着きますよ」


「こんにちは」
ファミリーホールに着くと、
○○様はロビーで待っておられた。


見ると、テーブルの上には、
"まごころサポートクラブ"のパンフレットが置かれてあった。
(スタッフが案内してくれていたようだ)
「聞いちょらんよ」
「遠慮しとったとですよ」
「言ってくれればいいとに」
「また、あそびに行くよっておっしゃてたから」
昨年末、○○様を訪問していたが、入会の話までしなかった。


「今日は息子を連れてきたよ」
一度、ホールを見せておきたいとのことだった。
「オジサンが(私のこと)がよく来てくれるから」
「ここで、なんもかんもまかせとけばいいから」
私を息子さんに紹介しながら、○○様はそう言う。
息子さんも私とさほど歳は離れてはいないと思うのだが・・
なぜか、ずっと年上のおじさん(おじいさんではありませんよ)
ずっと年上のおばさん(同じく)にオジサンと呼ばれてしまう。


○○様とは三年程前の托鉢で、事前相談をうけて以来のお付き合いになる。
もちろん今日、申し込みをいただいた。


カテゴリ 托鉢日記


あなたの心に最高の感動葬儀を。  「まごころ葬儀 福岡 羅漢」

「昔の人で誰が好きね」
突然師が問うた。
「昔ですか?」
「四百年とか、五百年前の」
「うーん・・・竹中半兵衛です」
「どんな人ね」
「外見はおとなしい感じなんですけど、内面は豪毅で、あっそうです諸葛孔明にたとえられています」
(秀吉が劉備にならって"三顧の礼"をもって軍師に迎えた話は周知のとうりである)
「うん」
「何処の人ね」
「えーと、岐阜、美濃の国の人です」
「豊臣秀吉の軍師だった人です」


そんな会話ののちに、
私は師に歴史小説で読んだ竹中半兵衛の逸話をきれぎれに話した。


『天正六年(1578)織田家の武将、荒木村重が信長に謀反を起こし、毛利方に通じた。
そこで信長は、荒木村重と親交のあった黒田官兵衛を最後の説得使として遣わした。
ところが、村重は"知謀の人黒田官兵衛を毛利方にとりこもうとした。官兵衛が拒むと、
土牢に幽閉して、「官兵衛は我が方へ寝返った」と吹聴した。
烈火のごとく怒った信長は、播磨の三木城を攻略中の秀吉に、
「そのほうに預けてある官兵衛の小倅を殺せ」と命じた。』


「村重も一度は叛意をひるがえそうとしたんですけど、家臣から、信長は執念深いから、
いったんは赦されてもいずれ殺されると忠告されるんですね」
「裏切るから裏切られる。なにも悪いことはないとたい」
「自分のした行為は自分に返ってくるだけたい」
「自分が受けて立てばいいとたい」
(その覚悟はできているのか!その真理がわかって行為しているのか。そう教えて頂いたようだ)
「しかし、信長のような者もおらんといかん」
(戦国の世を収拾するために、天が信長をつかわし、天が信長を連れ去ったとも思える)


「秀吉も信長には逆らえず、困って半兵衛に相談するんですね」
「半兵衛は命を懸けて自分の一存で黒田長政をかくまうんです。」
「長政を死なせてしまっては官兵衛にあわす顔がないと思うんです」
「昔のひとは命懸けで生きとった」
「命を懸ければ、すぱっと執われがとれるぞ」
「死ぬ目におうたことはあるか」
「あっ いいえ」
「いっぺん死ぬ目におうてみるとよか。すぱっと変われるぞ」


『信長は播州攻略に援軍を続々そそぎ戦局も好転してきたが、官兵衛の消息はまだ知れない。
労咳(肺結核)」のため、半兵衛の命の灯も消えようとしていた。
死期をさとった半兵衛は枕頭に主君秀吉を呼び、一通の書状を差し出した。
そこには、信長あてに、命令にそむき黒田官兵衛が一子松寿丸を殺さなかったのは、
半兵衛の一存、秀吉のあずかり知らぬこと、いう意味のことが書かれてあった。
「松寿丸は生きているのか!」
半兵衛はうなずき、「それがしの里に隠してござる。官兵衛がいきていればよろしいが・・・」
言葉なかばで半兵衛の息は絶えた。三十六歳の若さであった。
それから五ヶ月後の天正七年十一月、荒木村重の有岡城が落ち、官兵衛が救出された。
一年間の土牢での幽閉で惨憺たる姿になりながらも忠節を曲げなかった官兵衛のことを知って、
さすがの信長はも、「官兵衛に会わせる顔がない」と、松寿丸を殺させたことを後悔した。
が、秀吉から竹中半兵衛のことを聞き及んで心から安堵した。
松寿丸は、のちの福岡黒田藩五十二万石の祖、黒田長政である。』


竹中半兵衛、黒田官兵衛、ともに秀吉の名軍師である。
歴史上の人物に思いをはせ、
師の教えをいただき、心引き締まるものがあった。


カテゴリ 師の教え

あなたの心に最高の感動葬儀を。 「まごころ葬儀 福岡 羅漢」

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白糸の滝 左側の岩には不動明王の像が祀ってある


だいぶん日が過ぎてしまいましたが、
七日のことでした。


正月気分も切り替え時期だということで、
本年初の托鉢にでかけた。


年会忌を迎えるお客様と、
昨年から、"まごころサポートクラブ"でアタック中のお客様を訪ねた。


二丈吉井、二丈鹿家、(2010年1月1日より糸島市となり、この地名になったわけで・・・
以前は、福岡県糸島郡二丈町大字吉井といっていた)
から二丈深江と車を走らせながらふと横を見ると、
なんと、あのお客様がいるではないか。


急ぎ車を先の空き地にとめ、
「こんにちは。またお願いにきてみました」
いつも忙しそうで、なかなか本題に入れなかった方だった。
ところが今日は、
「上がります?」
「はい!ありがとうございます」
ここは勝負どころ、勢い座敷に上がらせていただいた。


「まだ見てないとよ。車の中においたまま・・」
(今出掛けるとこだからと言うのへ"パンフレット"を渡しといたという状況が前回)
「はい!ここにあります」
すかさず、"まごころサポートクラブ"の本題に切り込む。


・・・・時間は経過して
「ありがとうございました!!」
初托鉢で2010年初契約。


予定では糸島市白糸(以前は、前原市大字白糸)まで午前中に行くつもりだったが、
こう言うのを"うれしい誤算"というのかな。


少し遅い昼ごはんを食べた後、白糸に向かった。
留守でした。
メモを残して、


ここまで来たのだ、"白糸の滝"まで行ってみよう。
と言うことに話は決まり(誰と!)
雪が少し積もった白糸の滝でひとり、マイナスイオンを満喫した。
以上。

カテゴリ 托鉢日記

あなたの心に最高の感動葬儀を。 「まごころ葬儀 福岡 羅漢」

主演の本木雅弘さんが、
この本に感動して、映画「おくりびと」が生まれたそうです。
長年あたためて、ついに昨年世に送り出されました。


私も十年程前、この本に出会いました。(文春文庫)
ちょうど、葬儀の仕事に就いた頃でした。


映画をきっかけに読み返してみると、
当時とはまた違った感慨がありました。


この「納棺夫日記」という本は、
昭和四十八年、著者の青木新門さんが、
葬儀社に勤めだした時から書き始めた日記から生まれました。


ちなみに、「納棺」という言葉はありますが、
「納棺夫」という言葉は辞書には載っていません。
作品中にそのくだりが書かれています。
―とうとう納棺夫にされてしまった。―


この作品は三章からなり、
一, 二章は仕事での出来事がつづられており、
なかでも、感動的な場面(私のなかで)はいつかの「納棺夫日記」で紹介しました。
今回読み返してみると、「第三章 ひかりといのち」には、
宝石のような言葉がいたるところにちりばめられている。
親鸞聖人から宮沢賢治、量子物理学、ニュートリノなどにまで話は及んでいる。


青木新門さんは「仏は不可思議光如来なり、如来は光なり」を体得された方なのだと思う。


いくつか紹介してみます。


親鸞がこの<ひかり>を不可思議光と名づけた通り、この光に出会うと不思議な現象が起きる。
まず生への執着がなくなり、同時に死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、
すべてを許す心になり、あらゆるものへ感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。
この光に出会うと、おのずからそうなるのである。
そして、真宗の坊守さんの詩が紹介されていた。


何も思い残すことはない
もう充分
啓介も・・・大介も・・・慎介も・・・
マミも・・・あなたも
みんな南無阿弥陀仏
今度は、南無阿弥陀仏の諸仏になって
あなた方を育てましょう
 私は
私は真弥の南無阿弥陀仏になります
私は啓介の南無阿弥陀仏になります
私は大介の南無阿弥陀仏になります
私は慎介の南無阿弥陀仏になります
私は真吾さんの
南無阿弥陀仏になります
 ・・・・・・・・・・
門徒の方有縁の方々の
南無阿弥陀仏になります
思い出したら
南無阿弥陀仏と呼んでください
私はいつもあなた方に南無しています

             鈴木章子著
            『癌告知のあとでー私の如是我聞』
                      探求社刊より


こんな一節があった。
末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。
きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい。

カテゴリ ちょっとためになる話


あなたの心に最高の感動葬儀を。 「まごころ葬儀 福岡 羅漢」


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曽根より雷山を望む


一週間ほど前、
新規に「まごころサポートクラブ」入会頂いたお客様を二軒、
曽根に訪ねた。


この地は入社間もない頃、
先輩諸氏に手ほどきを受けながら、
托鉢した思い出がある。


その後の曽根は時折、私が"ひとり托鉢"をしている。
私がはじめて、事前相談を受けたのも、曽根の方だった。


「先日からお世話になりました。登録証をお届けに参りました」
「ああ、何度もすみません」
その方は今日も庭先におられた。
縁になる人はほとんどがこんな具合いである。


曽根は南北に二キロほど直線の道路が走り、
その左右に千戸ほどの住宅が建ち並んでいる。
ひとり托鉢ではとうてい廻れない。というわけでポスティングを決め込んだのだが、
何故か、ちょっと話してみようという気が起きて、
「ピンポーン」とやったわけでした。


「そろそろ、考えなくてはいけないかなと思っていたところなんですよ」
話をうかがうと、他にも二社ほど案内がきたという。
「そりゃあ考える時期がきたということだと思いますよ」
チラシでアピールして、"お願いします"
と頭を下げおいとましたのが一回目の訪問だった。


次にお訪ねした日は庭の手入れをしておられたが、
入会を約束していただき、契約する日を指定してくだっさた。


もうひとかたは、入社間もない私に、事前相談をしてくださったその方です。
「入会しますから来てください」ということでした。


小高い曽根から望む雷山はこのところの寒波で冠雪を呈していた。


カテゴリ 托鉢日記


あなたの心に最高の感動葬儀を。 「まごころ葬儀 福岡 羅漢」


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